下町の一角にありました。 「元は鬼神の妻で1000人の子の母でありながら 常に他人の子を捕らえて食べていました。 釈迦は彼女が最も愛していた末子を隠してしまいます。 子を失う苦しみを悟らせ 仏教に帰依させた・・ト言われています。 以後、仏法の御法神となり、子どもと安産の守り神となった。 また 盗難よけの守護とも言われています。」
小野照崎神社
小野照崎神社の裏に、富士山をかたどった築山がある。 室町末期に始まった富士山信仰は江戸中期に盛んになり、多くの講中が組織された。 江戸時代には富士講、大山講が盛んであった。富士登山は容易ではない、 講中は江戸各地に模造富士を築いて登った。 しかし今に伝わる富士塚は少なく、ここの富士塚は富士の溶岩で覆われ原型が良く保存されている。 昭和54年5月、国の重要有形民俗文化財の指定を受けた。6月30日と7月1日には、山開きが行われる
鬼子母神は 鬼の字が 点の無い鬼の字を使っていました。 パソコンで打てないので、残念です~~~★