徒然草

つれづれにさまざま書いています。

茨城のこんな人?

「水戸市内原郷土史義勇軍資料館」・・

内原郷土史義勇軍資料館 水戸市内原町1497番地16 長男との鹿嶋市 那珂市の撮影行の帰り道、内原の義勇軍資料館に立ち寄ってもらいました。資料館は無料で入れました。 郷土の品物のほか、義勇軍で満州に渡った青年たちの暮らしぶりや 内原での訓練の様子など…

本間玄琢の生家・(やすらぎの里内)・・

本間玄琢の生家屋敷(復元) やすらぎの里小川内 小美玉市中延1508-1 春の桜 初夏のアジサイなど等、花の咲く池がある「やすらぎの里小川」。 その入り口にあるのが 本間玄琢の復元した屋敷です。 江戸時代、水戸藩の領内でした。 ここに「郷校」という医学…

「筑波四面薬師」を、訪ねました。

新緑の筑波山と近辺を、長男と共に廻りました。 合計・7カ所。 長男から桜の種類についてメールがあって、その中に「薬師古道」なる言葉がありました。「なんぞや?」と思い、聞きましたら、 「徳一法師という僧が、筑波山に建立した「中禅寺」(大御堂)を…

「水戸左近桜譚(物語)」講談・講演会に参加して・・

26日、長男に誘われて、講演会に行ってきました。 水戸左近の桜が、なぜ、大切な桜なのか・・ 九代藩主徳川斉昭公、その正室「登美宮吉子女王」、そして二人の次男、慶喜公。 彼らの織り成す、歴史的な、大切な役割、そして、そこにあった、「左近の桜」との…

水戸・農人形・・

農人形 水戸市常磐町-6096 江戸時代、徳川斉昭公は、日夜汗や泥にまみれて働く農民に感謝をして、農民の像を作り、自分の食事の膳に置いて、まず最初の一箸の飯を供えてから食事をしたといいます。その農民の像は、銅で作られ、小さなものです。 現在の…

「水戸黄門様」・・徳川光圀公

徳川光圀 生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日) 死没 元禄13年12月6日(1701年1月14日) 享年73歳 江戸時代の常陸国水戸藩第2代藩主。水戸黄門としても知られる。 号は「梅里」。 水戸藩初代藩主徳川頼房の三男、母は側室・谷氏。徳川家康の孫に当たる。 …

横山大観・・日本画壇の巨星

茨城のこんな人・・ 「横山大観」 この方を忘れてはいけません。私も大好きな 日本画家です。 茨城県水戸市・城東小学校卒業 旧姓酒井、名は秀麿。のちに母方の姓を継ぎました。 東京美術学校卒 岡倉天心、橋本雅邦らに学ぶ。 京都市立美術工芸学校教諭をへ…

野口 雨情~童謡に魅せられて~

野口 雨情(うじょう)・・童謡詩人です。 茨城の誇る一人です。 「七つの子」「船頭小唄」「青い目の人形」「赤い靴」「波浮の港」・・など等 誰もが子供の頃口ずさんだことのある唄を作った詩人です。 雨情は 明治15年(1882)5月29日茨城県多賀…