徒然草

つれづれにさまざま書いています。

母のお見舞いに・・

イメージ 1



昨日、実家のお墓参りと、入院中の母のお見舞いに出かけました。

私の実家は、戦後開拓民として長野県から移住してきた開拓者でした。
その地域には、主に、長野県、山形県宮城県などからやってきた方々が住んでいます。
戦後すぐの事でしたから、田畑など無く、すべてが荒れた山だったところを、
手作業で毎日開墾して、苦労して・・やっと、陸田を作ったのです。
いや~~~・・貧乏でしたねえ。(笑)
一円の金も無い、っていうのが、事実でした。
苦労して開墾して、自分の田畑になっても、その田畑のお金は払うわけですから、
貧乏この上なかったような気がします。

そんな中でも、家族4人、何とも幸せだったような気もします。
なにも無かったけど、母の笑い声や、父の古びたギターで奏でる曲が、今も忘れられません。
それが「幸せ」というものでしょう・・

父と母と、弟と。そして同じ仲間のご近所とのふれあいは とても濃かったような気がします。

いま・・モノがあふれていて、なんでもあって、私も結構贅沢をしています。
あの頃に返って生活しろ、と言われて、生活できるでしょうかねえ・・・

そう言えば・・電気がついた日の事を今でも鮮明に覚えていますよ。
わたしが5歳くらいの時。
おじさんが、何やら高い所で作業をしていて、
私と、お隣の子とで、「おじさん、何してるの?」と聞くと、
「電気っていうものを引いてるんだよ。電気はなあ、夜になっても昼間みたいに明るいんだぞお」
・・・・って。
そして夜、父にせがんで早めに電気をつけて貰った時の、息を飲むような驚き!(笑)
父は、でも、すぐに消してしまった。
「電気っていうものはな、明るいけどお金もかかるんだぞ。むやみにつけないんだ」・・・って。
そう言うものなんだ・・・と、いやに感心したのを覚えています。
貧乏だったから・・・(でも、貧乏とは思わなかった)


まあ・・今では、電化製品で埋もれています。今の様子をあの頃誰が想像したでしょうか・・・

イメージ 2


母の入院している病院。
大きな病院ですが、やはりお年寄りが多いとか。
母が認知症になって、私の事を少しずつ忘れていったあの頃と、
何も分からず、寝たきりになり、ほとんどを寝て過ごす今とで、いったいどちらが幸せでしょう・・・
あんなに苦労して開墾して、やっと・・・生活も落ち着き、弟が結婚し、幸せだったときは、
あっという間でした。
父が60歳で難病で亡くなって、弟も、後を追うように、50歳で亡くなって・・
私はとうに・・亡くなった父の年を超えています。

幸せとは、儚いものだ・・と、ずいぶん泣けました。

母はそれでも、つい最近まで、ホームでお世話になり、結構「かわいいおばあちゃん」と言われていました。
いま、95歳。
長生きはしてほしいけれど…何も分からず寝ている母の姿に、
只々・・・何も言えない、私です・・
母はそれでも、みんなと過ごした月日は、とても幸せだよ・・・って、いつも言っていました。
そんな母を、いまも尊敬しています。


イメージ 3

イメージ 4










昨日は、車をお母さんが出すよ、って言ったけど、次男が車で行ってくれまして。
お昼は、回転ずしで。100円の・・・・(笑)
ずいぶん久しぶりの回転ずし。いや~~~すごいメニューにびっくり!(笑)
生ハムなんかもあって、寿司で生ハム・・・(笑)
息子と食べるお寿司はとてもおいしかったです。

実家のお墓参りを済ませ、次男にとっては、おばあちゃんに逢ってきて、とても有意義な日でした。
母には、幸せな夢を見続けてほしい・・と、願います・・(#^.^#)







イメージ 5