徒然草

つれづれにさまざま書いています。

逆川緑地の笠原水道・・①

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逆川緑地・笠原水道跡・・
   水戸市千波町地内

笠原水道跡を訪ねました。
ここは広大な緑地公園となっていて、緑濃い細長い緑地です。
逆川の両岸と周辺の斜面林からなり、水辺が、涼しげです。
水戸二代藩主・徳川光圀公ゆかりの 笠原水道を目的に行ってきました。

緑地公園ですから、自然の木々の中に逆川が流れ、水辺がきれいです。
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 蛍の生息地でもあります。                               下が、逆川・・

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たくさんのこうした説明板があります。               ちょっと残念な、案内板・・かすれて見えません。


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      笠原水道の記念碑・・碑面の題字「浴徳泉」は 水戸九代藩主・徳川斉昭公が
          隷書で記したもの。

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笠原水道の説明板があり、よく分かります。
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笠原水道跡です。 笠原水道は日本で18番目に古く、水戸藩第二代藩主・徳川光圀公が、
当時、水に困っていた水戸下町(しもまち)のために 水道を造り、ここから水を引いたとされます。
その当時の「水道の石組」が今も、こうして残されています。

工事は永田勘衛門が行い、  笠原から逆川に沿い藤柄町まで 岩桶を用いた暗渠を造り 
備前堀を銅桶で作り、全長10キロメートルを完成させた。 (水戸市HPより)

たった、1年で完成させたようです。当時としてはそれは大変だったものと思われますが、
光圀公の考えで引いた水道によって、水戸下町(しもまち)の民の飲料水がこうして賄われたとは
素晴らしいことですね。 心から、民は嬉しかったことでしょう。


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再現された「笠原水道」・・

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白鳥さんがいました・・・

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発掘調査で見つかった、「水路の樋(とい)」・・・当時をしのぶ事ができます。
また、下の写真は  水道の当時のものです。石組が残っていました。
大きな石もそのまま残されています・・

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夏は、ちょっと暑いですが、水辺の広大な公園で、細長いこちらを散策しながら歩くのも
とても癒されるのではないか、と思いました。
黄門さまとして親しまれている光圀公の、ほんの少しですが立派さを垣間見れるかもしれません。
光圀公は、民をこよなく愛された・・と言われています。
そんな「こころ」に触れられる公園です・・


次回は 逆川緑地です。(#^.^#)


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