戦後、我が家から「新宅」に出た、主人の父親の弟の奥さん、主人にしたら叔母に当たる方が亡くなりました。
ひと昔前は、こうして「新宅」に出ていく方が多かったようです。
土地を与えて そこに家を建て、しばらく面倒も見たようです。(戦後すぐのことなので)
おじさん(私にしたら義理ですが)もしばらく前に亡くなって、おばさんはちょっと寂しそうでしたが、長男一家と幸せに暮らしていました。
よく私の家に来て話をしました。
長男の嫁にそれはやさしく接してくれていました。
義母が寝たきりになって、私は仕事をやめて介護に当たっているとき お見舞いに来ると必ずこう言っていました。
「義姉(あね)さまのように、寝たきりになって世話は受けたくないねー ころん!とあの世に行きたいもんだわ」と。
「そうねえ・・」なんて。
そんなおばさんが認知症が進んでしまったのは数年前でした。
元気で歩いていたものの、認知症ではどうしようもないようで、病院入院。
結果、数年して老衰でした、91歳ということです。
このコロナ禍でお見舞いにも行けず、「行ってもどうせ分からないから」と。
あんなに「寝たきりには・・」と言っていたのに、認知症になってしまって。お気の毒だし私も優しい人だっただけに悲しかったです。
今日はご自宅で「納棺式」でした。
主人と共に行き、お式に参加させていただきました。
係の女性2人が取り仕切ってくれて、家族の方々、私たち夫婦、言われるままに厳かにしてまいりました。
薄化粧をしたおばさんはまるで眠っているように見えました・・
実の父・母・弟、そしてこちらの義父・義母と、納棺のお式を体験しました。
ほんとうに・・悲しいことでもありますけど、お式をして差し上げられたこと、これで慰めになります。
義父義母も長生きでした。在宅介護もして悔いはありません。
ただ、実の父は病名も分からず難病で60歳で亡くなり、実の弟はある日唐突に自死してしまいました。遺書はあったものの、「生きていてくれさえすれば、何か生きる支ええも考えられた・・」と思うと、いまでも涙や後悔があります。
その分、母は長生きはしましたが、重度の認知症で全く私を分からなくて、父と息子の待つ天国に行ってしまいましたので、「仕方ない」とは思いながら切ないです・・
人の「死」というものは逃れようもないことです。
でも、普通に生きて普通に天寿を全うして貰うことが望みではありますね。
弟はなぜ生きることをやめたいと思ったのか、夢でもいいので説明してほしい・・と、いまでもよく思います。
新宅の納棺のお式に参加させていただき、ふと・・・そんなことを思いました。