西木倉植桜記念碑 那珂市西木倉
(国道118号線沿い)
長男と 鹿嶋市の「櫻花公園」の次に行った場所が、こちらの「西木倉植桜記念碑」です。
※ 明治天皇の御代、日露戦争は大変な苦戦でしたが 実情を知らされていない国民は戦勝に酔いしれて、怠惰になっていった。それを憂いた明治天皇は、本来の日本人に戻るように、誠実勤労・質素倹約に勤めるようにと、「戊申詔書」を発布。
その後、大正天皇即位に当たり、大宮街道(現国道118号線)などに 桜の苗木数百本を植えました。
現在ではその桜の姿は見えません。国道の工事の際に伐採されました・・
そして、この「西木倉植桜記念碑」は、高い場所に移されました。
それが今回ご紹介する、こちらの碑です。
碑文・・・
※ 「植櫻碑」と。
うしろ側は何もないようです。
残念なことに・・ちょっと草に埋もれた感じでした。
当時を思わせる桜並木も全く無くなってしまいましたから これも仕方ないのかもしれませんね。118号線に少しでも桜が残されていればよかったですね。
たぶん、桜は「染井吉野」でしょう。
当時、戦争や国民には「桜花」は染井吉野でした。
※ なかまちのマンホール(現那珂市)
思えば・・明治から大正、そして昭和前期までは 日本は「戦争」というものに突き動かされていました。天皇が国家元首となり、軍部が大きくなってたくさんの戦火にまみれたわけでしょう・・
大変な時代を超えてきたわけです、しかし、当時の日本人にしてみれば、「これが当たり前」だったのかもしれませんね。「お国のため」を思って生きてきたのですから。
こういった碑文などを見るにつけ いま思う事は「やはり戦争はいけません!」何も得るものは無いように思えますね。
「西木倉植桜記念碑」を見て、更にそう思った私です。「西木倉植桜記念碑」が残されていてよかったです。
今回も、ありがとうございいました。みのりん。
参考資料・こちらを拝見しました。
※広報誌「なか」 2018年6月号
https://www.city.naka.lg.jp/data/doc/1531210104_doc_594_0.pdf
撮影日・・2022年09月03日