徒然草

つれづれにさまざま書いています。

実家のお墓参り・・

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  お彼岸なので、実家のお墓参りに行ってきました。

彼岸入りにいつも行くのですが、雨だったので土曜日に行きました。

曇天でしたが、あまり寒くない日で良かったです。

 

お彼岸という事で結構な方々がお墓参りに来ていました。

この墓地は戦後 開拓者として入植した方々、一世(いっせい)の方々が要望して建てたところ。

内原の加藤完治氏が茨城県の開拓民を募ったようで、父もその加藤氏の教えで、満州義勇軍として満州に行った組です。

 

戦後、父は次男でしたから、長野県からの開拓者としてたくさんの方々と共に、加藤氏を頼って茨城の地に入植しました。

ですから今の地には、80%長野県の方(一世)、他に宮城・山形などからの方もいます。

貧乏でしたね~~~*1

ほんと、いま思えば、超貧乏でした。(笑)

でもまあ、母は明るい人でしたし、父も愚痴を言う人ではなかったので、苦労はしましたが幸せな一家でしたね~~

 

話をすると長くなりますね。(笑)

 

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筑波嶺が見えます。

 

父は60歳で不治の病で亡くなってしまい、その分、母は94歳まで生きました。

たった一人の弟も50歳で亡くなっていますから、父母のお墓で、本来なら一世の方が亡くなってお墓にいるはずが、実家では3人・・

弟がお墓にいることがいまだ、信じられません・・たった一人の話し相手でした。

いやはや・・・ですね―

 

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一世の方々が植えた染井吉野の古木です。

70年は過ぎていると思われます。

この右手の広場で、私が小さい頃、開拓者として入植したひと地域の面々で、運動会をやりました。

かけっこやリレー、仮装行列なども・・

お重におかずを詰め、お稲荷さんを作ってご近所一緒に楽しんだものです。

 

寄る年波に、いつの間にかやめてしまわれたようです。

二世の若手は、やりたくなかったのかもしれませんね。

時代は変わって来ていますし、いまや、デジタル時代。運動会など時代遅れかな・・

 

ここに来ますと、その頃の光景がはっきりと目に見えてきます。

父のかけっこの早かったこと!自慢でしたね。

母は踊りが得意で、「手の先も注意して踊るのよ」なんて。

アメやお菓子をくれたり そのうちに文房具、ノートや鉛筆など、参加賞で貰いましたね。

昔・・昔の思い出です・・

 

 

父も母も、弟も、ご近所さんと一緒の墓地ですから淋しくは無いでしょう。きっとあちらの世でみんなで笑い合っていることでしょう。

なんか・・・涙が出ちゃいます。

せめて、弟が生きていてくれたら頼りになったのに・・なあ・・

 

 

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*1:+_+