母の夢を見ました。いつまでも鮮明に覚えているのは不思議です。
だから、お墓参りに行ってきました。
「夢の中・・私の嫁ぎ先に母が遊びに来て、私は嬉しくてお茶菓子やお昼ご飯などを振舞いました。母は、「OOが幸せそうで嬉しいよ」なんて言って、笑います。
「ここでは、みんなにかわいがられているんだよね?」なんて。
まあ、いろいろとあるけど、「うん、そうだね」なんて答えています。
あれやこれや話は尽きず、夢中で母と話していたら、夕暮れになって、姑が畑から帰って来ました。それを見た時、私が、「お義母さんが帰って来ちゃった!」と言うと、母は、「今日来たことは黙っていていいからね。叱られたらかわいそうだに。お母さんはもう帰るからね」と、立ち上がります。
その時、父親が顔を見せて、「OO(母の名前)。裏に車があるから早く乗れ。また来ればいいじゃないか」と。
二人は、私が、義母の方を見ているその瞬間に消えるようにいなくなってしまい。
その時、義母が、「OO子、暗くなるから、雨戸を閉めて」と言います。
「はーい」と、私と、義母で雨戸をガラガラ・・と、閉めました。
夢の中で、ふと、思ったのです。
「あれ・・・お母さんはここにいたけど、なんでお父さんはここにいなかったのかな?車にいたのかなぁ・・」・・・って。
そこで目が覚めました。」
目を覚ました時、思わず、母がその辺にいるような気がしたものです。
お母さんは午前中我が家にやって来て、お昼を食べ、お茶を飲みながら昔話をいっぱいしたような気がしました。
でも、父はその時、部屋にはいなかった。車で迎えに来た・・のかもしれないし。
まあ・・夢とはなんでも不思議なものだと思いますが、こんなに鮮明に母と父が出てきたことがとても不思議です。
弟は見なかったのです。なんででしょうか・・
で、今日、お墓参りに行ってきました。(#^.^#)
母は・・・何か言いたかったのかな・・とか、お墓参りしばらくしていないから、呼んでるのかな・・?とか。
そんないろんな事を想う私。
父の顔も、母の顔も 私が嫁に来た当時の、健康な若い顔でした・・
出島霊園・・遠くに筑波山が見える、きれいな墓地です。
私が育った地域は、80%が長野県からの開拓入植者が占めている開拓地でした。
元々は、林・・と言うより「森」だった。そこを、戦後、ろくなものも無く、ほとんどが人力で開墾し、陸田にしました。
父も母も、大変な苦労をしました。でも、開墾すれば、その土地は自分のものになる・・という事で 懸命に頑張ったものと思います。
この霊園は、何もない所に入植したひとつの地域の方々「一世(いっせい)」のための墓地です。戦後すぐに入植しましたから、一世の方々はここにほとんどの方が眠っているのです。ですから、父も母も、弟も、きっと寂しくはないと思うのです。
父は満60歳で、血液の病気で。弟は、満50歳で唐突に。
その分 母が94歳という高齢まで。ここに仲良く眠っています。
広場の隅にあった、碑。「出島偕拓園」の碑と 奥は、「偕拓碑」となっています。
この地に戦後、開拓団が入植した時に建てたものでしょう。
「開拓」と彫らずに「偕拓」と彫ったのには、さまざまな思いがあった・・のかもしれません。
神立と言うと、父や母を思います。(#^.^#) この踏切を渡って、出島霊園に行ってきました。