「不滅の古賀メロディーで安全集」♪
コロンビアファミリークラブ
かの有名な「古賀政男氏」の名曲ばかりを集めた、大全集。
CD 5枚組 CD1枚に18曲。
歌詞本付き 11000円也
買ってしまいました!(笑)
忘れたころに冊子が送られてきていまして。
少し前から、「断舎利」を、少しずつしていますが・・
ほんとうに懐かしい曲ばかりで、さんざ、迷いましたが、まだこの先、人生は残っていますから(笑) 思い切って買ってしまいました。
買ってよかった。
この中の、おおよそ95%は知っていますし。(笑)
影を慕いて・酒は涙か溜息か・丘を越えて・緑の地平線・東京ラプソディ・青い背広で・誰か故郷を想わざる・新妻鏡・湯の町エレジー・三百六十五夜・・・・
まあ、あげきれないですが、名曲ばかりです。
父と母は、戦後すぐに、故郷の長野県飯田から開拓団の一員として茨城県に、土地を求めてやって来ました。お世話をしてくださる方々がいて、一時、土地の場所が決まるのを待って、いまの実家が開いていたので、入植しました。
それから山を切り崩し根っこを手作業で掘って、(ご近所の方々と共同だったようです)艱難辛苦、大変だったようです。
結婚してすぐに、入植したわけで、親からなにがしかの金すは貰って来たものの、とーっても貧乏でした。
そんな中でも、夜、ほっとしたころ、父は古いギターを奏でながらよく歌を歌っていました。
多くが、「誰か故郷を想わざる」とか「湯の町エレジー」などでしたね。
上手ではなかったにしろ、ぽつぽつ・・と唄う父の歌を まだ小さかった私や弟はその前で聞いたものです。
母も歌は好きで、農作業をしながらも歌ったり、台所で歌ったりしていて、私は父母のその当時の歌を聞きながら育ちました。
「誰か・・」は、いま思えば、離れた長野県の田舎の、父や母、兄のいる家や田舎の風景などを思い出していたのでしょうね。
貧乏でも、歌を忘れなかった、父や母。
それは大変な苦労の連続だったようですが、そんな父母の唄う姿や、声を、いまも思い出します・・
思えば・・
父と母の青春時代は戦争まっただ中でした。
父は戦中、茨城県の内原の農業学校の「加藤完治氏」の学校で、満蒙開拓団に参加。
母は、愛知県の機織りの大きな工場での作業に・・
やっと戦争が終わった時、その「加藤完治氏」の勧めもあって、開拓団に参加したようです。
今、世の中は平和と言っていいでしょう。特に日本は、平和です。
青春時代を暗い世の中で過ごした両親ですが、それなりに「希望」は持っていたのかもしれません・・・
高校を卒業して、私は地元の観光バス会社に就職し、バスガイドを数年しました。いまは、カラオケやビデオなどありますが、私が乗車した当時は、そんなものはありません。バスガイドは歌を歌ってなんぼ・・でしたから、観光案内とともに重要でした。しかも、自力で覚えさせられました。
父や母の歌ったものは、大抵覚えていたし、好きでしたから、私は結構たくさんの曲を唄えました。当時私よりずっと年配の方がお客さまですから、やっぱり戦中・戦後の歌を好まれました。
私の歌好きは、父母の影響だと思えます。
これらのCDの中の曲は、おおよそが、父母の歌った歌のような気がして、懐かしいです。
あの当時の、父の年齢は、とうに越しましたが、ギターを抱えて唄っていた、若い父を、まぶたに浮かべています。
母と父、天国でまた唄っているかしら・・ねえ。(#^.^#)