徒然草

つれづれにさまざま書いています。

「江戸無血開城の深層」・磯田道史氏著

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NHK英雄たちの選択

  「江戸無血開城の深層」   磯田道史 著

 

 

NHK出版

2018年08月30日  第一刷発行

著者  磯田道史  NHK「英雄たちの選択」制作班

 

「序章」~「第4章」まで、

徳川慶喜公・大政奉還の真意とは・・江戸無血開城のこと、皇女和宮と、天璋院篤姫の大奥の戦い、徳川慶喜大政奉還に至る道筋、さらに、西郷隆盛の、西南戦争の事、それらに分けて、深く掘り下げた内容となっていました。

 

慶喜公は、水戸徳川家 徳川斉昭公の七男で、江戸幕府最後の将軍。大政奉還を成し遂げた方です。彼は、将軍にはなりたくなかったとか。しかし、時代の流れをよく読み、独断で政権を幕府から朝廷に返上した、誰しも知っているであろう人物です。

茨城県民として、水戸徳川家の事、慶喜公の事など等、大変興味あるところです。

近年、その政治手腕が再評価され・・と、本に書かれています。とても嬉しい気がします。

 

慶喜公もさることながら、特に私が興味を抱いたのは、NHK大河ドラマで 大好きで毎回欠かさず見ていた「篤姫」の物語で、彼女の江戸城に嫁いでからの、波乱万丈の生き様が、今も、脳裏にあったので、篤姫が「無血開城」に、いくらほど尽力したのか?が、とても興味があったからです。

ドラマはドラマ・・・と、ある程度は思いますが、その時々の時代考証などもちゃんとなされているであろう・・とも、思っていました。

 

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篤姫は、薩摩藩主・島津斉彬の養女となり、江戸城の将軍家定の元に嫁いだ女性。島津家の思惑は、「徳川慶喜公」を将軍に・・それが真の目的だったように思えます。

篤姫は、ドラマでは大変家定と仲睦まじいように描かれていますが、実際は、なかなか会えなかったようです。いまと違い、将軍家定は遠い存在だったのでしょう。

そして彼は体が弱く、早世してしまいます。

慶喜公を次期将軍に・・はその時、果たせないまま終わります。

 

そこで出てくる女性が、「皇女和宮」です。

孝明天皇の妹の彼女には、愛する人がいて、降嫁を断り続けたのですが、幕府の「公武合体のシンボル」として説得を重ねられ嫁ぐことになってしまった、悲劇の女性。

家定が亡くなり、その後将軍になった、第14代将軍・家茂に降嫁しました。

和宮と、家茂は仲が良くて、まるで雛人形のようだった・・と言われています。

いわば、篤姫天璋院)は、和宮の義母になったわけです。

篤姫にはお子はいなかったのですが、家茂は義理の息子。

その二人が、「公武合体」があるにせよ、仲良く暮らしていることは、きっと、嬉しかったに違いありません。自分は、家定と、なかなか会えなかった・・のですから・・

 

しかし・・家茂は、当時京都で「尊王攘夷派」が暗躍していたため、孝明天皇の命によって大軍を率い、上洛。二度の上洛により、心労も重なり、京で亡くなってしまいます。

 

その後・・篤姫和宮は、命をもって 江戸の民衆を護るべく、交渉を重ね、江戸無血開城へ・・と、歴史は進んでいきました。

和宮と、天璋院篤姫、二人の活躍があってこそ、ではなかったか?と感じました。

勿論、最後の将軍となった「徳川慶喜」、また、勝海舟西郷隆盛など等のそれぞれの思惑や、考えもありました。

慶喜の「大政奉還」によって、日本国は大騒ぎになったことでしょう。しかし、それが行われたことによって、日本は一歩も二歩も「前にまえに・・」と進めたのかもしれません。もし・・慶喜が思い切った大政奉還をしなかったならば、いったい世の中はどうなっていたでしょうか・・

 

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私にとって、篤姫慶喜公はとても好きな人物なのです。

好きな一冊として、時間の許す時、また読み返せば、新たな発見があると思っています。

歴史は、テレビドラマより、面白い・・と、どなたかがおっしゃった。確かにそうでしょう。そう思います。

 

磯田氏のこの本の内容は、私にはちょっと難しかったです・・

彼をテレビで拝見し始めてから興味があって、この本をやっと買い求めたわけですが、専門家だけあって掘り下げて掘り下げて書かれていると感じます。

 

 

※ 和宮が詠んだ歌・・

  1「住み馴れし 都路出でてけふ(今日)いくひ(幾日)

      いそぐもつらき 東道(あずまじ)のたび」

  2「空蝉(うつせみ)の 唐織ころも なにかせん

      綾も錦も きみありてこそ」

1は、降嫁する旅の途中で。 2は、京で家茂が亡くなり、和宮の元に、みやげとして頼んでおいた織物が届けられた時・・

 

 

 

 

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