徒然草

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光圀伝・上下・・

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光圀伝 (上)(下)
 
   冲方丁 (うぶかたとう) 著   角川文庫
                  平成27年6月 初版発行


「なぜ・・・あの男を自らの手で殺めることになったのか・・」
老齢の歳になった光圀は 水戸・西山荘の書斎でその経緯と
己の生涯を思い出す・・

「なぜ・・自分なのか・・」
幼い時より、なぜ、自分が「世子」に選ばれたのか。
父、頼房の決めた事に疑問を感じていた。兄がいるのに、なぜ!?
その兄は 世子を父が決める時、病だった。それでなくとも兄は病弱であった。
しかし、兄がいるのに・・彼は「世子」と決められたゆえに、
父・頼房の過酷な試練と対峙していた。
父が切り落とした生首を真夜中に「取って来い」と告げられた、彼は見事
その生首を父の元に運んだ。
そんな父との確執もあり、少年期青年期にはかなりのやんちゃでもあった。

青年期、かの豪剣・宮本武蔵と出会い、また、文事の魅力に取り憑かれ、
読耕斎と呼ばれる、生涯の朋友と出会う。
読耕斎を得て「詩の天下を目指す―」

ある時、一人の少年に出会う。光國を心から慕う、「紋大夫」である。
幼いながらも懸命についてくる彼を光國はかわいがり、傍に置くようになる。
やがて、青年期、「泰姫」という 生涯の伴侶を得、彼の内面を支えてくれる
泰姫に心をさらけ出し、また、父や兄とも「心の交流」がなされていく。

光國は学問、そして、詩の世界を極めていくが、その中で「朱舜水」と出会う。
光國の生涯の師であり友である。
彼の素晴らしい考えに光國はすべてを吸収していく。

彼が晩年に向かう頃に手掛けたのが後々「大日本史」と呼ばれる史書であり、
集大成でもあろう。
更に彼は 光國を光圀と変え、西山ーせいざんー(現在の常陸太田市)で、晩年を過ごしている。

彼が、なぜ「兄を差し置いて世子」となったのか、は、長年の謎でもあったが、
その兄とは生涯を通して相談相手でもあり、尊敬する人物でもあった。
更に、病気で泰姫を亡くした後、独り身を貫いたことも光圀ならであろう。

信頼し、かわいがってきた紋大夫を 隠居してから自らの手で殺めた事を
光圀は死ぬまで疑問に思っていた。
そして・・彼は73歳となって死者の列に加わった・・


光圀には、その人望によって、さまざまな人物が彼を慕って集まった。
それが彼を暴れん坊から、良きリーダーへと登らせたのではないか。
何事にも、貪欲に、貧富の差など意に返さずに接したことも然りであろう。
中国の朱舜水は、光圀に自分の持っているすべてを教え託した。
それも光圀の教養の深さ、また、素直さからだったのではないか。

紋大夫は「いまの将軍(犬公方と言われた綱吉)の次の世子は、水戸から出し、
そして、将軍になった暁には 大政を天皇にお返しをしたい」
つまり、大政奉還を光圀に訴えた。
光圀はそんな紋大夫を死に至らしめ、哭いた・・

考えてみれば、後のちの世、水戸の血を引く「徳川慶喜公」によって
大政奉還が成し遂げられた事は、光圀公の時代からの因縁であったろうか・・



    ※ 最後の文はどうしても書きたかったもので。内容が分かってしまいましたがごめんなさい。
      上下巻の内容の濃い本でしたが とても面白かったです。



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