徒然草

つれづれにさまざま書いています。

石岡のお雛さま・・①

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いしおかの雛巡り・・
茨城県石岡メインストリート

市内のまちかどギャラリーのお雛さまを見てきました。毎年雛人形で「物語」を演出しています。
行って見ると、係のご婦人が、親切に内容を物語ってくれます。
今年は・・「小野小町の生涯」でした。




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小野小町は 絶世の美女・・と歌われた、平安時代前期の女流歌人です。
七小町の一人と言われた彼女は、 ある時、時の帝・仁明天皇に見初められます。

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帝の元に上がるように・・と伝えたのは・・・後々まで深い因縁のある、「深草の少将」でした・・


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小町は時の帝の元に上がりました。
しかし・・・帝は若くして亡くなり・・小町は一軒の家を与えられ、そこで暮らす事に。
絶世の美女・しかもとても、才女だった彼女の元に、たくさんの男性が通ったとされますが、
小町はあまりにもうるさいので・・
「私の元に100日、通って来たならば、お話を聞きましょう」と、告げたのです。
世の男性たちは、それが続かず、みな断念・・


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その中でただ一人、帝の元で小町を見染めた、深草の少将だけは、 雨の日も、嵐の日も・・
通い続けました。これがよく言われる、「百夜(ももよ)通い」です。
少将は・・通ってきた、と言う証しに、門の前に ひと粒ずつ、「とちの実」をおいた・・とされます。

しかし、99日目の夜は、大変な大雪で 少将は たどり着けませんでした・・
ある時から、少将の通って来るのを心待ちにしていた小町も・・・
きっとがっかりしたと思われます・・

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その後、小町は ひっそりと暮らすようになり、誰とも添い遂げる事なく暮らしたとされています・・
深草の少将は・・・あの99日目の大雪で、遭難死した・・と言われていますが・・・
彼こそが、後の僧正遍照です。
時の帝「仁明天皇」に仕えましたが、彼が亡くなってからは、仏門に入ったとされます。
歌人としても有名な方です。

出家してから幾星霜・・ある寺で偶然彼は小町と出逢います。
その時・・彼と彼女は、歌人らしい歌のやり取りをします。

少将が雪の夜、亡くなった・・と言うのは「嘘」だと言う事が分かります。
天津風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 
    をとめの姿 しばしとどめよ」 ・・僧正遍照
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今年・・・平安の御世から龍に乗ってやってきた、小町たち・・
ひな祭りのこの日、彼女たちは、歌を詠み、酒を酌み交わし・・・懐かしい話に興じている・・・・と言う事です。
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小野小町伝説は、各地方にありますが、茨城でもいまの土浦市小野地区に残っています。
小町が通ったとされる、峠や 小町の墓とされる、五輪塔も、残されています。




いしおか雛巡り・「おかえりなさい いしおか・・」
~~3月3日「火曜日」 まで
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