岡倉天心の愛した五浦海岸
茨城県でも、一番北にある、五浦海岸。
1898年、日本美術研究所を設立。1906年、この五浦の地に移しました。
当時、貧困の中、六角堂を造り、天心はその中で、構想を練ったとされています。
2011年大震災の折、大津波で六角堂は跡形もなくなりました。
大変惜しまれ、その後、2012年4月に創建当時の姿で再建されました。
雪の六角堂を撮りたい・・と言う長男の撮影行に同行しました。
五浦公園からの眺め。
パンフレットなどに掲載されている風景は、ここからの眺めです。
六角堂の左手奥が、日本美術院研究所です。
映画「天心」・ロケ地・・
映画 「天心」
主題歌・石井竜也
特に、線を用いないで表す、「ぼかし」を探求しました
しかし、その当時、「朦朧体」と揶揄され、画は全く売れなかった・
そんな中、彼らは後世に残るすばらしい日本画を描いて行きます
特に、春草を中心に描かれています。彼が貧困から眼を患い 東京に地を移すところなどは泣けました。
彼は38歳という若さで亡くなります。
春草が生きていれば、大観と肩を並べる日本画家として活躍した事でしょう・・・
オープンセットの中です。
貧困生活の中、天心の見守る中での創作活動。
彼ら4人んの描いた画 は後に大変有名になります。
しかしこの頃は 毎日の食にも事欠く貧困時代でした・・
東京都美術館・・
「ぼかし」を使った絵が展示されていましたので、見てきました。
そして、狩野芳崖「悲母観音」・・など等の名作を見る事が出来、嬉しかったです。
染井霊園(東京都)から、分骨・埋葬されました。
五浦海岸の六角堂の風景です。
これは、2008年に行った時撮ったものですから、六角堂は以前の建物です。
とてもきれいな明媚な風景で、 六角堂のこちら側で、一艘の小さな舟に乗り
日々の糧にしようと、天心が魚を釣る姿が見えそうです・・
雪の中の六角堂の風景は・・いまも目に焼き付いています。
横山大観は、若くして亡くなった春草の無二の友でもありました。
その死を大変悲しんだ・・・と言われています・・・
雪の五浦海岸・六角堂・・2014年2月8日