徒然草

つれづれにさまざま書いています。

天心の愛した五浦海岸・・


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岡倉天心の愛した五浦海岸

茨城県でも、一番北にある、五浦海岸。
26歳で帝国博物館(東京国立博物館)や、27歳での日本美術学校の、校長となった岡倉天心
1898年、日本美術研究所を設立。1906年、この五浦の地に移しました。
当時、貧困の中、六角堂を造り、天心はその中で、構想を練ったとされています。
2011年大震災の折、大津波で六角堂は跡形もなくなりました。
大変惜しまれ、その後、2012年4月に創建当時の姿で再建されました。


雪の六角堂を撮りたい・・と言う長男の撮影行に同行しました。
五浦公園からの眺め。
パンフレットなどに掲載されている風景は、ここからの眺めです。

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六角堂の左手奥が、日本美術院研究所です。

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映画「天心」・ロケ地・・

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映画 「天心」


主題歌・石井竜也

映画では、日本美術院を追われた天心が、五浦の地に、日本美術研究所を設立し、この地に定住した、横山大観菱田春草下村観山・木村武山と共に日本画の創作活動をし
特に、線を用いないで表す、「ぼかし」を探求しました

しかし、その当時、「朦朧体」と揶揄され、画は全く売れなかった・
そんな中、彼らは後世に残るすばらしい日本画を描いて行きます
特に、春草を中心に描かれています。彼が貧困から眼を患い 東京に地を移すところなどは泣けました。
彼は38歳という若さで亡くなります。
春草が生きていれば、大観と肩を並べる日本画家として活躍した事でしょう・・・



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オープンセットの中です。
貧困生活の中、天心の見守る中での創作活動。
彼ら4人んの描いた画 は後に大変有名になります。
しかしこの頃は 毎日の食にも事欠く貧困時代でした・・

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茨城県立近代美術館と、東京都美術館では、その五浦時代、「朦朧体」と揶揄された
「ぼかし」を使った絵が展示されていましたので、見てきました。
私の大好きな菱田春草の「落葉」 横山大観「無我」
そして、狩野芳崖「悲母観音」・・など等の名作を見る事が出来、嬉しかったです。
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五浦海岸近くにある、「岡倉天心墓所」です。
染井霊園(東京都)から、分骨・埋葬されました。

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五浦海岸の六角堂の風景です。
これは、2008年に行った時撮ったものですから、六角堂は以前の建物です。
とてもきれいな明媚な風景で、 六角堂のこちら側で、一艘の小さな舟に乗り 
 日々の糧にしようと、天心が魚を釣る姿が見えそうです・・

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雪の中の六角堂の風景は・・いまも目に焼き付いています。
横山大観は、若くして亡くなった春草の無二の友でもありました。
その死を大変悲しんだ・・・と言われています・・・


雪の五浦海岸・六角堂・・2014年2月8日
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