徒然草

つれづれにさまざま書いています。

「桜田門外ノ変」

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    北大路欣也伊武雅刀・・・・
 
 
一八六〇年三月三日
 
 大老井伊直弼暗殺
 
 
日本の未来を変えた歴史的大事件
 
 
 
水戸藩藩士たちは 藩に迷惑がかかる・・として脱藩。
当初、井伊大老を打つ同士は五〇名。
しかし、井伊直弼安政の大獄によって集まる事ができない同士たちを断念し、
「襲撃実行部隊」として集まった二十二名の水戸・薩摩浪士たち
明日、三月三日、場所は桜田門
その皆々を指揮するのは、「関 鉄之介」だった。
彼が見守る中、桜田門は真っ白い雪が降り、しんしん・・・と凍える朝だった。
 
そして時刻がやってきた。
散らばった彼らの目に、門を出てくる 井伊直弼の籠が・・・
そして、壮絶な戦いが始まった…
 
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桜田門外ノ変」は、日本の未来を変えた、歴史的な大事件です。
さまざまなドラマや、映画などでも取り上げられていますが、ここまで鮮明に描かれたのは
初めてではないだろうか。
水戸藩士が脱藩までしてなぜ襲撃を決行したのか・・
丁寧に描かれています。
また、襲撃した二十二名の 決行後の運命も、一人ひとり克明に描かれます。
それは・・ものすごい地獄絵…のような結末です。
今まで知らなかった事実が この映画によって明らかになり、涙が出ました。
 
決行した彼らに、もちろん≪未来≫はなかったのです。
あてにしていた薩摩にも手の平を返され、更に彼らを打ちのめしたのは、
水戸藩」だったのです。
井伊直弼を殺した元藩士を執拗に追い続けます。
それはしかし、致し方ない事だったかもしれません。
相手は大老井伊直弼・・でも、地獄絵でした…
 
井伊直弼の乗った籠についていたたくさんの藩士たちもまた、井伊大老を守れなかった・・・という罰を受け、全員が切腹・・・という憂き目を見た事も、知られることのない事実です。
 
なぜ、井伊直弼を打ったのか。
黒船の来航、開国を推し進めていた大老を、尊皇攘夷へと傾いて行った水戸の浪士たち。
幼い将軍をいいことに 日本の実権を自分の手に収めていた井伊直弼
さらに、そのことに反発した水戸・徳川斉昭を蟄居に追い込み
また、反発する各藩士たちをことごとく牢に入れ、死罪・・
天皇をおろそかにし、実権を握っていた彼の政権に「死をもって」挑んだ水戸浪士たち。
 
徳川最後の将軍・慶喜が、大政奉還し、明治政府となったのは
桜田門外の変の たった8年後・・・だったのです。
 
すさまじい映画でした・・・・
 


水戸のロケ・オープンセット。
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上が桜田門
外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造になっている。
間に桝形とよばれる四角形の広場がある。この広場は門から打って出る兵の待機場所である・・
                                    (ウイキ・ペディアより)
 
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井伊直弼のいた「近江彦根藩上屋敷・井伊邸」
この門から三月三日早朝 井伊直弼が籠に乗って出てきます。
 
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水戸市 偕楽園下の千波湖畔に 撮影に使われた、大きなオープンロケのセットが
建てられています。映画に合わせて見てきました。
 
桜田門外の襲撃の時、雪が降り、あたりは真っ白でした。
広大な敷地に敷き詰められていたのは、寒水石(かんすいせき)という、白色石灰石だそうです。
また、この撮影には数百名のエキストラがいます。
皆さん、茨城の人だったようですよ。
撮影には水戸はもちろん、袋田の滝周辺や、大子市…などなど、多く茨城が
使われています。
 
関 鉄之介は名を知られた人ですが、こんな最後を送ったのか・・と涙が出ました。
また、徳川斉昭公を演じた、 北大路欣也さんも素晴らしく当たり役でした。
 
 
 
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