徒然草

つれづれにさまざま書いています。

下大津の桜群・・

 

 下大津の桜群   かすみがうら市加茂

 

染井吉野

  樹齢・・120年

 

前回の下大津の桜の周りにも、同じ時に植えられた数多くの桜が今も、同じように残されています。どの桜の木も、同じに歳を重ねてきたのですが、植えられている場所によって、姿が変わっているようです。

樹齢120年ともいわれている桜群。

ここに学校があったころは、満開の桜たちの中で お子たちの元気な声が響いていたのでしょう。いまは、静かな佇まいを見せています・・

 

ちなみに・・この桜群も、樹木医さん・保存会の皆さんで護っていると聞きました。

 

フェンス脇の染井吉野。 どっしりと、四方に枝を伸ばした立派な姿です。

とても元気そうです。

古木によくあります、「不定根」や、「ひこばえ」など、次世代への希望が見られます・・

 

その横の桜は、主幹が折れていますが、たくさんのひこばえなど見られ、やはり元気ですね。↓

 

石造りの建物横にも、立派な桜のい古木あり。同じに植えられた桜です。

 

幹が折れていますが、不定根など出て、毎年花を咲かせています。こうして命がつながっていくのですね。

 

忠魂碑・・桜群のすぐ近く。

この忠魂碑のある場所に、「下大津小学校記念碑」など等が、移築されて、当時をしのんでいます・・

 

奉安殿(ほうあんでん)・・

昔、学校があった証拠とも分かる、建物。奉安殿が今も残されています。茨城県でも残っているのは数少ないようです。

天皇皇后の写真や、教育勅語など、を安置していた建物です。

私が通った小学校は、戦後も既に過ぎていましたので、この建物はすでにありませんでした、よく実家の父母が話を聞かせてくれました。

「学校の門の辺りにあって、そこを通るときは帽子を取って一礼し、また帰りにもちゃんと礼を尽くして帰ったもんだ。それを怠ると大変だった」と。

当時はおそらく昭和天皇陛下と皇后さまの「御真影」が飾られていたのでしょう。戦中ですからね。

父が、「教育勅語」をそらんじて聞かせてくれたのを、今も思い出しますね。

 

戦中の「遺物」です・・

 

 

撮影日・・2023年07月12日

 

 

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2021年04月の 下大津の桜・・

 

小学校の跡地ですが、この横に新しい小学校ができて、近隣のお子たちはすぐ横の学校に通っていました。戦後はお子たちも多かったものですが、いま現在、子供たちが極端に減ってしまいました。どのの学区でも同じようなことがおこっているようですが、ここもしかりです。

行ってみたら、小学校は無くなっていまして、H28年3月 4つの小学校が統合されて、別の場所にお引越しをされたようです。

すぐ横にあった大きな小学校から聞こえるお子たちの声も、今はもう聞かれないのですね。桜たちは静かに毎日を過ごしています・・

 

 

 

 

☆彡 ちなみに・・私の通っていた志士庫小学校(旧出島村)も、同じH28年廃校になっちゃいました・・ なんか・・悲しい気がします。(中学校もいまは統合されています)