徒然草

つれづれにさまざま書いています。

旧出島の「泰安殿」・・

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元下大津尋常小学校の「泰安殿」
   かすみがうら市加茂

下大津の染井吉野を見に行った時、コウヤマキの緑の中にあったのが、この「泰安殿」。
調べてみると、茨城県内には 現存している奉安殿は 桜川市真壁町にあるものと、
旧出島村にあるものと、二基しか無いことがわかりました。

戦争が終結した当時に壊したようです。
戦前、全国の小学校や中学校などに建てられていたという、建物。
大変頑丈な造りで、地震が来ても壊れないような、そんな造りです。
天皇陛下、皇后さまのお写真などを飾り、全生徒が、教育勅語などを朗読した・・
その前を通るときは最敬礼だった・・とか、昔、実父が言っていました。

教育勅語」なるものは、そういえば、つい最近も、とある幼稚園で、朗々と朗読している様子が、テレビで見られましたが、もちろん戦後は聞かないものです。(これにはびっくりでした!)
天皇が、現人神になってからは、この泰安殿も取り壊しになったという事でしょう。

「昭和10年ごろに、下大津小学校に安置された。
戦後、下大津役場に設置。「貴重品庫」として使われていたために、壊されずに残った。
その後、JA下大津支店に、移された。
高さ・・3メートル
間口・・1.8メートル
いまは、扉も開かなくなっている」・・        常陽リビングHP
                         http://www.joyoliving.co.jp/special/historical/kennan/kennan00103.htm

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真壁のものは、もっと大きくて、立派なような気がしますが、
この「奉安殿」なるものを知っている人が、今は少なくなったと思いますね。
私も、実父や実母から話を聞いていなければ、分からなかった、遺物です。

残しておいた方がいいのか・・壊した方がいいものか・・は、私には皆目わかりません。
父も母も戦中を生きた人ですから、これを見たときは、両親の顔が浮かびました。
貧乏で、お金もなく、洋服だって数少なかった私の小さい頃でした。
父は満州義勇軍で、大変な思いをしたために、あまり多くを語りたがらなかった・・
でも、「学校にあって、校長先生が管理していた」とも言っていました。

旧出島の奉安殿なるものは、ただ・・朽ちていくような気がします。
濃い緑のコウヤマキの中で・・ひっそりと。

私も、この歳になったので、考えることですね・・

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桜川市真壁町の「泰安殿」記事・・


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