徒然草

つれづれにさまざま書いています。

ご先祖様をお迎えしました・・

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毎年の我が家のお盆です。
盆棚を飾り、仏さまを仏壇から移し、夕方お迎えに行って、ご飯を差し上げました。
やっぱりこうして、盆棚を飾ると、「お盆になった・・」と思うものです。

私は、義母、義父のいる家に嫁いできました。
あの当時は、いまのように別棟じゃなくて、一軒の家に同居でしたから、
何でも物事は一緒。

その分、「今まではこうしてきた」とか、「お盆はこうするンだよ」とか・・
さまざまなことを、折に触れて教えて貰いました。
古いしきたりもあったり、慣れないことだらけでしたが、義母ちゃんの教えがあったからこそ、
いま、息子に教えてあげることも、多少はあるのですね。

つい、そんな事も考えます。

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古いお位牌の中に、一体の仏像があります。
両手が無くなってしまっているので、阿弥陀如来か釈迦如来か・・分からないようで・・
牛久大仏阿弥陀様なので、よく似ているので、阿弥陀如来象かと・・・(笑)
年代も書いてないのでさっぱり分からない・・
でもまあ・・我が家の仏さまです。


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キュウリは馬。お迎えに行って、「一刻も早く我が家に来るように。馬で」
ナスは、牛。16日にお帰りは、牛に乗って、ゆっくりと・・お帰りを・・


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お帰りになってからの食事・・
これは今朝・・(^_^;)
朝なのでごちそうは・・ない。(笑)

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で・・問題はこちらのお膳。
これにはいわく因縁があるのです。

昔、我が家は、それは大きな「庄屋」で、土地もたくさんあり、結構由緒ある、
今の「常総」方面からの分家か、そのまた分家で 苗字も許されていたそうな。
他人の土地を踏まずとも 隣の愛宕山に行けた・・とか。

そのために、旅人は ひとまず、我が家に来て、「宿を乞うた」
どの旅人にも、親切に宿を貸し、もてなしたとか。
その中には、昔の事とて、行き倒れてしまうものも多々いて・・
我が家で息を引き取った、お客人には、たいそう憐れに思い、石碑を建てて供養したそうな。
我が家のお墓の横に たくさんの石仏があって、それが、亡くなってしまった人たちだそうで。

で、お盆の迎え火の日、我が家のご先祖様たちが帰ってくるときには、
その「お客人」の方々も呼んで一緒に連れ帰ってくると。
だから、ご飯のお膳も、ご先祖様の分と、亡くなってしまったお客人の分を
こうしてお供えしなくてはならないのです。

お客人たちは、それをたいそう喜ぶのですが、
申し訳ない、と思い、盆棚の一番下で、あたかも隠れるように、ご飯を召し上がるそうで・・
だから、お客人のお膳は、一番下の奥に置くのです。


まあ、こんな事をずっとしてきたのでしょう。
私が嫁に来て、初めて「こういう風にしなさい」と、義父、義母から毎年言われてきました。
なんか・・お客人がかわいそう・・と、義母ちゃんに言った所、
「申し訳ない、申し訳ない」と言って、 絶対に、上には上がってこないんだ・・そうで・・
まあ、考えるに、病気などで行き倒れたような形で、我が家で息を引き取った旅人達に
看病をし、お墓まで立ててあげ、石仏も建立したのですから、
「さも、ありなん」と、思いますけどね。

私も、お膳は、いつも二つ用意しています。

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わが家のご先祖さまも、お客人も、数日をゆっくりと、過ごしてほしいと感じています・・
お客人のお膳には、昔、我が家はたいそう立派で、大きな庄屋だった・・ことが伺えます。

まあ・・・・・当主が代々、大酒飲みで みんな酒代に消えてしまい、いまは面影もありませんけどね、(爆笑)


静かなお盆をお過ごしくださいませ。(#^.^#)

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