徒然草

つれづれにさまざま書いています。

ある町の高い煙突・・

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 ある町の高い煙突

  
新田次郎 1978年11月25日 第Ⅰ刷
    文藝春秋 発行








明治38年、茨城、日立の山の中に日立鉱山が開業する。
鉱山から流れ落ちる煙は、峠を越えて、下(しも)にある部落へと流れ落ちた。
部落では米を作って、貧乏ながらも幸せな毎日を送っていたが、
やがて、煙害によって、貴重な米が蝕まれていった。

関根三郎はこの部落の関根家に養子となって入り、当家のまだ赤ん坊だった
「みよ」と、ゆくゆくは結婚するという約束であった。
彼は勉学に励み、外交官という、華々しい道が開けようとしていた。
その矢先の事である。部落の米が枯れ始め、人々は煙害によって、体調も崩れていった。
皆のすがるような期待に、三郎は外交官の夢を捨てて、煙害と戦おうと決心する。

こうして、日立鉱山と、地元住民との長い戦いが始まった。
足尾銅山などの悲惨さを知っている若者は、どうにかして、煙を村に下させないようにするために、
さまざまなことを模索していくが、それは決して生易しい事ではない。
米は枯れ、木々も葉を落とし、やがて重病人も出る始末・・

大雄院精錬所から、神峰山にかけて工事が進められ、やがて、煙を導くための煙道を
鉱山は造った。これで、有毒の煙は、村には来ない・・と、みなが胸を撫で下ろしたのも束の間、
それは竜のように村へと駆け下った・・

その後、試行錯誤の末、青年たちの血を吐くような努力もあり、また鉱山側も前を向き、1914年、日立鉱山
当時としては世界一を誇る155.7メートルの大煙突を造ることになった。
そしてその煙突が出来上がった時、高い煙突の先から吐く煙は神峰山を越えてまっすぐ、海へと流れたのである。
勿論、すべてが海へ・・とまでは行かなかったが、今までのような苦しみから解放された瞬間ではあった・・

日立市の象徴となっている「大煙突」には、大変な苦労と努力が詰まっている。
それは、まさに、「血を吐くような」努力である。
足尾や、別子の悲劇が、ここ、日立鉱山では繰り替えされなかったのか・・
煙害撲滅を訴え続けた青年たちと、大企業の決断があってこそだったろう。
しかしそこには、足尾や別子の「恐ろしい過去」があってこそ・・だったのかもしれない。



小説の中では、三郎の密かな恋心や、婚約者のみよとの兄妹のような暮らしも描かれています。

足尾銅山では、周りの山々は枯れ果て、木、一本もありませんし、人々も悲惨な苦しみがありました。
大煙突が完成するまでは、ここでも大変だったとされます。
その当時、煙害に強い、オオシマザクラを一本一本、山々に植えて、
山の枯れ果てるのを防ごうとした人物がいたことも知られています。
その大島桜は春、真っ白い花を咲かせ、山一面を彩っています。
小説にはこの桜の事は出ては来ませんが、来年5月に封切られる「映画」の中で、
大島桜が出てくれば嬉しいと思っています。

いま、日立市は「桜の街」として知られています。
塩害に強い大島桜が植えられてそれ以降、桜を植え続けたようです。
一度、日立の元鉱山周辺の山々の「大島桜群」も見てほしいと思います。

※ 「ある町の高い煙突」は、小説ですが、実話なのです。
   この小説の中の「関根三郎」は、「関右馬充(うまのじょう)」という方です。
   小説のモデルとなった方で、煙害に大変な努力をした方。
     著書に「茨城県巨樹老木誌」「日立鉱山煙害問題昔話」などがあります。


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大煙突・・鉱山がなくなってからも日立のシンボルでした。
いま、3分の2ほど上が折れてしまいましたが、
変わらず山の上に建っています。
  (画像はお借りしたものです)


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