徒然草

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千貫桜の子安像・・

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千貫桜の子安像・・
    茨城町小幡



国道6号線にある、桜の名所、千貫桜。

その昔、巨樹で古木の立派な桜があって、
かの、徳川光圀公が「花品の値千貫銭なり」と、
褒め称えた事から、その桜を「千貫桜」と呼んだそうです。
いまはその桜も枯死してありません。
「千貫桜」は一本桜です。
今もその桜があったなら、素晴らしい風景だったことでしょう・・


いま、並木になっている千貫桜の入り口に
ひっそりと佇む「子安像」があります。
会いに行ってきました。


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子安観音象のようです。
桜並木の入り口に お子を抱いた姿でいます。

子安観音は 安産や、幼児の成長を護るとされる、
観世音菩薩です。
昔より、女性たちの信仰の的であったようです。
いまも、その信仰は「子安講」などに見られます。

この6号国道、元・陸前浜街道には 数多くの
こうした、お子を抱いた子安像が見られます。
昔は、大変な道中だったと。
そのさ中、お子を亡くした女性も、多々、あったものと思われます。
せめてもの供養に こうした野仏を建てたのではないでしょうか・・

こちらの野仏は、横に、大正12年と彫られています。
もう、お顔は判別できません。
でも、きっと、優しいお顔をしていたのでしょう。



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光圀公が愛された、千貫桜は枯死してしまいましたが、昭和40年ごろに植えられた、
染井吉野が、古木になって来ました。その桜に護られるように静かな時を刻んでいます・・


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義公(光圀公)鑑賞の桜・千貫櫻碑。
光圀公が愛した桜・「千貫桜」は 一本桜で、並木ではありません。
枯れてしまったその後、水戸斉昭公が、光圀公をしのび、二代目の桜や、山桜を植えました。
しかし、いまは、それらも残ってはいません。


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「千貫桜歌碑」

初代の「千貫桜」のあった場所は、ここより1キロメートルほど、水戸寄りだったようです。
今現在の染井吉野の並木は、昭和40年ごろに植樹されたものです。


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染井吉野の見ごろは、四月上旬。
花びらをあびて、子安さまもきっと、安らげるでしょう・・


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