徒然草

つれづれにさまざま書いています。

櫻守・・

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櫻守


      水上勉 著   新潮文庫
           昭和51年4月 初版本








5つか6つの頃、祖父に連れられて、背山(うしろ)の九十九折の道を登った。
祖父は木こりであった。山にはケヤキや栗の類が多かった。
やっと登ったそこは片側が杉林、片側は落ち込んだ谷であった。
その、ちょっと開けたところに、褐色の肌の横縞の見える木々があった。
「山櫻が満開や」と、祖父は言った・・
初めて山桜を覚えた。
それが弥吉を庭師の道に行かせ、櫻を愛する人間にしたのかもしれない。

父は大工で、京の寺や神社の普請に出かけていて、大抵は留守であった。
やがて、そんな生活の中、母は父と離縁して去って行った。
丹波の山奥で大工の倅として生まれた弥吉、やがて、若くして京の植木屋に奉公。
以来、朴訥な彼は、ひたすら櫻、山櫻を愛していった。
庭師の仕事を、櫻を助ける仕事を弥吉は只々懸命にこなしていく。
その方面の数々の人物と入り合いながら・・


彼が出会った櫻の中に「荘川櫻」がある。
岐阜県高山市荘川。そこに御母衣(みほろ)ダム建設の話が持ち上がる。
ダム建設となれば、荘川の部落はもちろん、神社、寺、学校、自然・・
ありとあらゆるものが水の底に沈むのである。
その荘川に二本の巨大な櫻があった。樹齢400年とも言われる
ヒガンザクラの古木である。
その古木を助けてくれ・・との依頼が、竹部庸太郎の元にもたらされた。
竹部庸太郎・・弥吉の尊敬するひとりであった。
唖然・・とした竹部ではあったが、「やってみまひょ」・・と。
弥吉は、彼もその答えに唖然・・としたのであった。。
それ程難しい仕事である。

その仕事は並大抵のものではなかった。
樹齢400年、重さ40トンはあろうかという巨樹である。
それを二本、ダムの上の新しい道の方へ運ぶのである。
弥吉は、残念なことにそれに携われなかったが、毎日、その事に気を取られた。
二本・・と言った竹部。
もし・・一本が枯れてしまっても、もう一本ある・・
その思いがあるのかもしれない・・と、弥吉は感じていた。

その櫻は、移動した一年目は全く花はつけなかった。
しかし、二年目に、見事な花をつけた。
家族で訪れた弥吉は、感動で涙を落とす。
ダムの底に沈み、命を落とすはずであった二本の樹齢400年の櫻。
それが命を与えられて、こうして生きている。
人間が与えた命ではあっても、櫻自体が生きよう!と思ってのことである・・

弥吉はその生涯を48歳で終える。
櫻をこよなく愛したのは、幼いころ祖父が見せてくれたあの「山櫻」に
出会ったからかもしれない・・


「生きとし生けるもの」は、やがてその命を終えるもの・・
しかし、今を生きているものは懸命に生きている。
人の手を加えても櫻を守って「生」を謳歌させたい・・
そんな弥吉の切実なまでの生き方である。
櫻を守り育てることに生涯をかけた人生。

とてもいい本でした。
滅びゆく自然への深い哀惜の念が感じ取れます。


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荘川桜・・
樹齢450年とされる二本の江戸彼岸桜。
(画像はお借りしました)


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