徒然草

つれづれにさまざま書いています。

府中城の土塁・・

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府中城の土塁
 石岡市総社1-2

府中城の跡
  市指定史跡

現在の石岡小学校と石岡市民会館の裏手に 土塁が残っており、多くのケヤキなどの古木があります。
その昔、大掾(だいじょう)氏により、1346年頃に築城され、天正18年、佐竹義宣に攻められて落城。
落城後は 佐竹義尚が城主となり、その後は、六郷政乗が領した。
その後、元禄13年、松平頼隆が報じられて、陣屋を築いた。
本丸・二の丸・三の丸のほかにも、たくさんの出丸を備え、堀、土塁を巡らした
堅固な城郭だった。
いまの石岡小学校はその中に建てられたとされます。 (立て看板より)

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石岡小学校一帯は1300年昔、石岡の国府が置かれた場所です。
石岡全体を「常陸国府」として古代都市が形成されて、政治・経済・文化の中心地となっていました。
しかし、平将門の乱で壊滅的になりました。
近代になって、このあたりには教育設備が次々立ち、いまは、石岡小学校や市民会館などがあります。

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「箱式石棺」・・
関東では茨城に、この箱式石棺が多く、中でも霞ヶ浦周辺に多い。(立て看板から)
人骨が入っていたようです・・

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「風間阿弥陀」・・市指定文化財

 人型の石造りの阿弥陀尊。
 








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市民会館の裏手に、土塁が続いています。
土塁の向こう側が、小学校。

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土塁は小学校の正門に続いています。      正門の右手は、碑が立てられ、土塁はここで途切れています。

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常陸のみやこ・一千有余年乃地」・・
石碑の立つ土塁には大きな欅がそびえたっています。
ここで土塁は途切れて、向こう側にはは残されていません。

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「つわものどもの夢の跡」・・・・この言葉が思い浮かぶほど、
歴史、ロマンを感じます。

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手前が石岡市民会館。正面が、石岡小学校。正門。
土塁は左手奥から、右の大ケヤキで途切れています。
いまは、この土塁だけが、昔々の府中城の跡を想い出させる気がします。

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「陣屋門」・・
移築され、もともとあった場所に戻った陣屋門。

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石岡ロマン・・と言いますが、この土塁の事や、府中城のあったことなど、知る人は少ないような気がします。
もっとたくさんの人々に知ってもらい、貴重な遺跡保存をした方がいいと思います。
石棺など石とはいえ、野ざらし状態では・・・・

国府が置かれ、府中城が栄えたその昔、人々も生き生きと、暮らしていたのでしょうね。

※ 駐車場は 市民会館のものが使えそうです。
   参考資料・・石岡の里石岡ロマン紀行
             http://www.rekishinosato.com/fuchuujyouato.htm

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