千貫桜並木道・・
その昔、徳川光圀公が 「千貫の価値あり」と賞され、千貫桜・・の名がついたとされています。
しかし、その当時の桜(山桜)は枯死し、それを憂いた、九代藩主・徳川斉昭公が
この遺事を伝えるために、桜を植樹した・・・と伝えられています。
いまは斉昭公の植えた山桜はありません・・
春風も 心して吹け散るもよし 吹かねば辛し花の木の下
徳川光圀公が、小幡の花見の折りに歌ったとされています。
昔・・山桜が咲き誇っていたであろう街道です。
いま、一斉に染井吉野が咲いています。 夕景の千貫桜です・・