徒然草

つれづれにさまざま書いています。

「ひな掛け軸」・・・

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桃の節句も終わってしまいましたね。
茨城ではまだまだ桃のお花は咲いていないようですが、お花屋さんでは真っ盛り。かわいい桃色のお花ですね。
 
 
これが私のお雛さま、
「ひな掛け軸」なんです。
お内裏様 三人官女 五人囃子
そして、おきな・おうな・・・
今の雛段のように書いてあります。
母からもらった雛掛け軸。
私の「お宝」の一つです。
 
 
 
 
 
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父母は戦後すぐに 長野県飯田市から開拓民として、いまの茨城県
集団入植してきたんです。
田畑は全くなく、土地を買って山々を自力で開墾して、田んぼや畑にした・・
とても苦労してきました。
並みの苦労ではなかったそうです。
 
開墾・・・といっても 今のように大きな機械がある訳でもなく、
みんなで協力し合って、鍬などで土地を切り開き、大きな根っことの格闘だったそうで・・
今では考えられないほどの重労働だったんですね。
 
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そんな中、私と4歳下の弟を産み育ててくれました。
私が生まれた時に 何にもなかった両親はあまりにも不憫・・と感じて、
この掛け軸を買い求めたそうです、借金して。><
 
いつもお雛さまの時期にはこの掛け軸を飾ってくれました。
お姫様のとてもきれいな着物は 私には到底手が出ない代物でしたから、(子供心に)
いつも憧れの目できれいなお姫様を見ていました。
絵の中の雛たちですが、よそのお宅もこんなものでしたから、別に他をうらやましく思ったこともなかったですね。
みんなが貧乏でしたからね~~~~特に開拓民は・・・・
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よく見ると、お姫様は今のように髪を結っていません。
昔はこんな感じだったようですよ。享保なども髪は結ってないみたいだし。
 
いまは、色あせてしまい、紙ですから、破けているところは母が繕った後もありますが、
私の大切なお雛さまたちですよ。
この掛け軸を開いてみると、なんか・・・
昔の姿を思い出します。
 
若かった父と母と、弟と、小学生の私と。
なかよくちゃぶ台を囲んで笑い合ったあの当時を思い出します。
何にもなかったけれど、雛の掛け軸の前で 
「大きくなったら 自分のお雛さまを買ったらいいよ」
と、言っていた父。
「大きなお雛さま、買えるように、頑張れ」とも言っていましたっけ・・・
 
その「大きなお雛さま」はとうとう買えませんでした。
子供は男の子だったしね~~~~
でも、このお雛さまがある限り、私の心はいつもあの昔に帰れます。
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父は60歳で難病で他界。でも孫を抱っこして、「幸せだよ」って言っていました。
母は今も元気です。でも難度の高い認知症に・・・
私の事もすぐに忘れます。結婚して、子供を産んだ事も忘れます・・・
 
弟は50歳に届かない時に亡くなりました。。突然・・・
そんな事をいろいろ考えると、涙が止まりません・・・
あんなに苦労してひと世代を生き抜いてきた両親。
なんで・・こんな悲しい事に・・・って思うと、泣けます・・・
 
でも、父も弟も私が幸せに暮らしていればきっと目を細めて喜び、
あちらで、二人で大好きなお酒を酌み交わしている事でしょう。
少女のようになった母、ある意味幸せ・・かもしれませんね。
 
ひな掛け軸を眺めて、昔の事を思い出して、涙した・・・わたし。
そんなお雛まつりでした・・・(*^_^*)
 
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