
一年に一回、「お庚申さま」を拝見することができます。
「お庚申さま」・・おこうしんさまです。

画像が暗いですが、我が家で
お祭りした「お庚申さま」です。
掛け軸の中にいます。
庚申の神って・・・
よーく見ますと、とっても怖いお顔。
私たちをにらんでいるかのような・・
そんなお顔なんですね~~~
このお顔も一年に一回しか拝めません。
お庚申さま…とは。
毎日に 十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)を
割り当てていって60日に一度やってくる日です。
その日は「かのえ猿」といい、
人心が冷酷になるこの日は「刀傷沙汰が起きやすい」「この日に子供を作ると泥棒になる」といわれた忌日とされています。
「庚申」はもともと中国の道教からきたもので。
人間の体内には三尸(さんし)の虫というのが住んでいて、
「庚申」はもともと中国の道教からきたもので。
人間の体内には三尸(さんし)の虫というのが住んでいて、
いつもその人の悪行を監視している。この虫が庚申の夜、人間の睡眠中をうかがって
体外に抜け出し天に昇り、天帝にその人間が行った悪事を告げるとされ、
そして人の命を短くするとも云われています。
これをさせないため、その晩は神々をまつり、
徹夜で飲み明かすという風習が古くより行われました。
これが「庚申待(こうしんまち)」とか「宵庚申(よいこうしん)」と
いわれる行事で、これらを総称して「庚申」と言います。

組内には一幅の掛け軸があります。
この木の箱の中に、庚申さまの掛け軸があって、
「かのえ猿の日」に出してお祭りします。
昔から伝わってきた掛け軸の入った箱・・
趣のある箱になっています。

数年前までは 組内みんなで行ってきまた。
その日、女集は昼間集まってご馳走の準備をします。
おもに、「農業の神様」としてあがめられているために 秋に収穫したもろもろの野菜でお祝いします。
今までは・・
混ぜご飯・けんちん汁・里芋の煮っ転がし・ホウレンソウのお浸し・きんぴらごぼう・おから煮、そして一品、煮魚。漬物など・・
時代の波に押され、若い方のお家では
「そんな事をしたくない!」と、
頑強に否定されて、一時神様をどうしようか…という問題が起きました。
この神様をお返ししよう・・という話も出ました。
しかし、お年寄りたちは、「お返ししたら、何かが起こる…」と心配しました。
主人は、「我が家でお預かりしたい」と、申し出ました。
が・・・
やっぱり組内の神様として、ずーーっと各お家を回ってきましたので、
それも・・・という事になりました。
で、「お庚申さまをやってもいい・・という家だけを回り、、
その家でご馳走をお出しする」という事におさまったわけです。
お庚申さまも非常に戸惑った事と思いますね。
10件もある組内、でも、「家もいいよ」って言ったのは・・・
たったの4軒・・・・いやはや、時代なんでしょうか・・
「かのえ猿の日」に 掛け軸を開いてお祭りしました。
しみじみ見ますと、庚申さまって、緑色の神様?
「青面金剛(しょうめんこんごう)」とされているそうです。
庚申の夜祭を守護しているからだ・・・と言われているそうですよ。

我が家でお祭りした夜は静かな夜でした。
お赤飯・けんちん汁・里芋の煮物・きんぴらごぼう・・をお出ししました。ふふ・・♪
ちゃんと、お線香も絶やさずあげましたよ。(〃▽〃)
でもね、一つだけ、不思議な言い伝えがあるんです。
「お庚申さまをお祭りしている時間に、地震がくると、また来年も
その家でやらねばならない」と言う、言い伝えなんです。
調べてみても、聞いてみてもなんで???・・・なのか、が分かりません。
ですからね、
私んちでも およそ一時間お祭りしてから、
熱いお茶を差し上げて、飲んだかなぁ・・・って頃に、掛け軸を下し、箱に収めましたあ。
地震は来なかったです。(笑・・・)
昔は一晩中、お年寄りがお茶を飲みながら歌を歌ったり、お経をあげたりと、
にぎやかに過ごしたそうですが、私が嫁いできた当時からは、
夜10時には終わりました。
お酒も、一升と決めていました。
そんな時代も過ぎて、お庚申さまもたった4軒の家を回り、静かな夜を過ごす…
そういう・・時代なんですかね~~~~
私が生きているうちは、お庚申さまがやってきた一年間は
大切にしたい…と考えています。
私も年を取った・・・・って事でしょうか??(〃▽〃)
お庚申さまも無事に次の一軒のお宅にお送りしました・・・・
