徒然草

つれづれにさまざま書いています。

越中・富山の 薬屋さん・・(#^.^#)

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義母の部屋をかたずけていたら 薬屋さんの箱が出てきました。
あの富山の薬屋さんの箱・・・
もう何十年もお世話になっていた箱です・・
年を取ってしまった義母、たんすの上に乗せたまま忘れていたようです。
中を開けて見ますと、使われていない薬がどっさり・・と、出てきました。びっくりしました・・・
 
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私が仕事をやめる、ちょっと前までは元気だった義母、
常に家にいたのでこういった管理は義母がしていました。
お金はかかっただけ、出しましたが、薬もほとんどは、義父と義母が使っていました。
 


 
私がまだ小さく、物心ついた頃、実家にも毎年来ていました。
その方は、なぜか今でもよく覚えていますが、とても若い方でした。
ハンサムで、愛想がよく、母も父もその方と話が弾み笑っていたことを覚えています。
父母は長野県の出、 だから富山の薬屋さんと話も弾んだんでしょうか。
 
使った分だけお金を支払い、そして薬屋さんは新しい薬とすべてを替えて行きます。
また来るのに、一年かかるからです。
最後に、私と弟に あの頃は紙ふうせんと、私に真っ赤な木のお箸をくれました・・
今でも覚えていますよ、真っ赤な・・というより、朱塗りのお箸でした。
でもそれより、貧乏でおもちゃなんて無かった我が家、「紙ふうせん」がとっても嬉しかった!!
破かないように大事に使ったこと、思い出します。
母も嬉しそうに紙ふうせんを空に上げていましたっけ・・・
 
結婚して、私も母になって、 子供が出来ると、我が家にやって来てくれていた富山の薬屋さんは
年配の品のいいおじさんでした。
優しげでニコニコとした、物静かな感じでした。
やっぱり使った分のお金を支払い、薬は全部新しいのと取り替えて・・
息子たちには 「ふうせん」をいっぱいくれました。
ふうせんも今のゴムのふうせん。
まあるいものや、棒のような長いふうせん・・・・子供たちは大喜びでそのふうせんで遊びましたっけ。
 
思い出がよみがえってきました・・
でも、ふと、我に返りました。
これって・・・・・もうしばらく薬屋さん、来ていないような・・・・あれ?????
義母に聞いても「来てないの?」って、言うばかり。
薬を調べると、新しいものでも、2008年までの使用期間。
しかもいっぱい残っていますから、再度びっくり・・・
 
箱の中に仕切り書が入っていて、薬屋さんのお名前がありました。
富山県滑川市・・・・となっています。
お電話をしました。
奥様が出られました。
わけをお話しすると、優しいお声が返ってきました。
「そうですか~~~わざわざありがとうございます~~~茨城県・・懐かしいです」
「主人は・・・三年程前に亡くなりました・・その前数年は寝たり起きたりで・・」
「もう、仕事とはやめたら・・・って言ったんですが、よくなればまた行く、みんな待っててくれるから・・と、申していましたが、病気には負けますね・・・逝ってしまいました。」
「そのお薬と、お薬の箱は申し訳ないんですが、処分してください。ありがとうございました」
 
私涙が出ちゃいました。
あの優しく笑った薬屋さんが亡くなっていたなんて。。
それと同時に「地方へ配達に来る薬屋さん」も、時代に波にいなくなってしまう・・・って事も、思い知らされました。
「後継者はいませんでしたので、主人で薬のほうも終わりに・・・」
奥様の声を思い出しました。
 
私が小さい頃は 薬を小さなさじで測って 小さな四角い「薬を包む紙」にのせて、
魔法のように薬がこぼれないように包んでくれたものです。
あの包み方がなんとも不思議で 小さいながらも、その薬屋さんが素敵に見えたものです・・
 
薬も様変わりしてきたのと同時に コンビにでも売るような時代になり、
大きなドラッグストアーが出来て、こつこつと歩く薬屋さんの需要がなくなった・・・今の時代。
人情も失われていくのでしょうか・・・・・
 
 
越中・富山の薬屋さん、長い間ありがとうございました・・<m(__)m>
 
 
 
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