義母の部屋をかたずけていたら 薬屋さんの箱が出てきました。
あの富山の薬屋さんの箱・・・
もう何十年もお世話になっていた箱です・・
年を取ってしまった義母、たんすの上に乗せたまま忘れていたようです。
あの富山の薬屋さんの箱・・・
もう何十年もお世話になっていた箱です・・
年を取ってしまった義母、たんすの上に乗せたまま忘れていたようです。
中を開けて見ますと、使われていない薬がどっさり・・と、出てきました。びっくりしました・・・
私が仕事をやめる、ちょっと前までは元気だった義母、
常に家にいたのでこういった管理は義母がしていました。
お金はかかっただけ、出しましたが、薬もほとんどは、義父と義母が使っていました。
私がまだ小さく、物心ついた頃、実家にも毎年来ていました。
その方は、なぜか今でもよく覚えていますが、とても若い方でした。
ハンサムで、愛想がよく、母も父もその方と話が弾み笑っていたことを覚えています。
父母は長野県の出、 だから富山の薬屋さんと話も弾んだんでしょうか。
使った分だけお金を支払い、そして薬屋さんは新しい薬とすべてを替えて行きます。
また来るのに、一年かかるからです。
最後に、私と弟に あの頃は「紙ふうせん」と、私に真っ赤な木のお箸をくれました・・
今でも覚えていますよ、真っ赤な・・というより、朱塗りのお箸でした。
でもそれより、貧乏でおもちゃなんて無かった我が家、「紙ふうせん」がとっても嬉しかった!!
破かないように大事に使ったこと、思い出します。
母も嬉しそうに紙ふうせんを空に上げていましたっけ・・・
結婚して、私も母になって、 子供が出来ると、我が家にやって来てくれていた富山の薬屋さんは
年配の品のいいおじさんでした。
優しげでニコニコとした、物静かな感じでした。
やっぱり使った分のお金を支払い、薬は全部新しいのと取り替えて・・
息子たちには 「ふうせん」をいっぱいくれました。
ふうせんも今のゴムのふうせん。
まあるいものや、棒のような長いふうせん・・・・子供たちは大喜びでそのふうせんで遊びましたっけ。
思い出がよみがえってきました・・
でも、ふと、我に返りました。
これって・・・・・もうしばらく薬屋さん、来ていないような・・・・あれ?????
義母に聞いても「来てないの?」って、言うばかり。
薬を調べると、新しいものでも、2008年までの使用期間。
しかもいっぱい残っていますから、再度びっくり・・・
箱の中に仕切り書が入っていて、薬屋さんのお名前がありました。
お電話をしました。
奥様が出られました。
わけをお話しすると、優しいお声が返ってきました。
「そうですか~~~わざわざありがとうございます~~~茨城県・・懐かしいです」
「主人は・・・三年程前に亡くなりました・・その前数年は寝たり起きたりで・・」
「もう、仕事とはやめたら・・・って言ったんですが、よくなればまた行く、みんな待っててくれるから・・と、申していましたが、病気には負けますね・・・逝ってしまいました。」
「そのお薬と、お薬の箱は申し訳ないんですが、処分してください。ありがとうございました」
私涙が出ちゃいました。
あの優しく笑った薬屋さんが亡くなっていたなんて。。
それと同時に「地方へ配達に来る薬屋さん」も、時代に波にいなくなってしまう・・・って事も、思い知らされました。
「後継者はいませんでしたので、主人で薬のほうも終わりに・・・」
奥様の声を思い出しました。
私が小さい頃は 薬を小さなさじで測って 小さな四角い「薬を包む紙」にのせて、
魔法のように薬がこぼれないように包んでくれたものです。
あの包み方がなんとも不思議で 小さいながらも、その薬屋さんが素敵に見えたものです・・
薬も様変わりしてきたのと同時に コンビにでも売るような時代になり、
大きなドラッグストアーが出来て、こつこつと歩く薬屋さんの需要がなくなった・・・今の時代。
人情も失われていくのでしょうか・・・・・
越中・富山の薬屋さん、長い間ありがとうございました・・<m(__)m>