徒然草

つれづれにさまざま書いています。

「菱田春草」・・私の一枚の画

日本画・その先を行く・菱田春草と「落葉」・・新日曜美術館(NHK)

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菱田春草(ひしだしゅんそう)(1874-1911
深まりゆく秋の気配の濃い作品「落葉(おちば)」彼の代表作の一つ。
この作品は六曲一双屏風です。

東京武蔵野の林を描いたもので、見ている私達を画の中に引きずり込むような
そんなとてもやさしい色をした 風景が描かれています。
落ち葉つもる林、画面手前の木肌や葉はしっかりと描かれ
奥にいくごとにやさしい色となり、シーン・・・と、静まり返った林の中を連想させます。
カサコソ・・と動いているのは小さな小鳥のみ・・・

春草のはこの当時 腎臓から来る目の病に犯されていて、失明の危機にありました。
そして療養先の武蔵野の林を描いた・・といわれています。

春草は長野県飯田の生まれ、幼い時から画が好きで
やがて東京美術学校に入り、のち、岡倉天心横山大観・・らと
新しい技法などを模索していくようになります。

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私事ですが 息子達二人が成人し次々家を出て行って、私は淋しくて淋しくて、
何をやっても 無気力感が出てしまいました。
何もやる気が起きなかった当時、友人が美術館に連れて行ってくれました。
「きっとすてきな画でも見れば、気分もすぐれるよ」
連れて行ってくれたのは、大津港にある「天心記念五浦美術館」でした。

ここで、運命的な出会いがあったのです。
それが春草の「落葉」でした。
この画の前で 図らずも涙が出て止まりませんでした。
静かな画面に 吸い寄せられるように魅入っていました。
友人がびっくりしてしまった事さえ気づきませんでした。

涙が出て止まらなかったこの画 そして菱田春草という名前を始めて知りました。
「五浦」がどんな地かさえもあまり興味が無かった私、
猛勉強しました。
そして、春草・大観・天心・・・彼らの苦悩も知りました。。

貧困から来る病で春草はわずか37歳で世を去りました。
その若き死を 誰よりも悲しんだのは、横山大観だといわれています。

もし 春草が生きていたならば もっとすばらしい画をたくさん残したでしょう。
とてもとても残念です。


私が「子離れ」のきっかけとなった一つは 息子達の愛している「HOTEI]の音楽。
そして、この「菱田春草の落葉」だったんです・・・