徒然草

つれづれにさまざま書いています。

「篤姫」

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篤姫は薩摩島津家の分家に生まれながら江戸幕府の13台将軍「徳川家定」の正室となった女性です。
しかし病弱だった家定は 彼女が嫁いでから、たったの1年半でこの世を去ります。
篤姫はわずか 24歳でした。
彼女はその後「天璋院(てんしょういん)」として 明治維新の動乱の中、
嫁ぎ先の徳川宗家のために、また、日本のために、力を尽くした女性です。

でも歴史的にはあまり知られていなかったようです。
このドラマでは「宮崎あおい」さんが可愛い、いちずな、そして女性でありながら
国の動静に興味を持った人物を演じています。
ドラマは早、後半に入りました。

篤姫は将軍家定とやっと心を通じ合わせ、自分の父と母のように
「夫婦」として彼を支えていけたら・・と思っていました。
でも愛する彼との突然の別れがやってきます。

その知らせは 彼女が養女となった「島津 斉彬」の死と同じ日にもたらされました。
あまりのことに、茫然自失、しかも、家定が亡くなって一ヶ月近くも知らされなかったのです。
篤姫は 彼の納まった棺に泣き伏すのでした・・・

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毎回、涙なみだで見ています。
昔の将軍家って、正室でもなかなか逢えなかったんですね。
たった一年半の妻としての生活の中で、「待っている」時間は長かったでしょう・・
「上様が・・来られない」
ポツリつぶやく篤姫が哀れでした。

まして、その死を知らされたのはおよそ一ヶ月もの後だなんて・・・
信じられない世界ですねえ。
将軍の死は 実母にも知らされていなかったようです。
私なら・・きっと気も変になってしまうような事件ですねえ・・・

これから彼女は 第十四代将軍、家茂(いえもち)の後見人として生き、
「桜田門外の変」を経て 皇女和宮と知り合い、更に
「江戸城無血開城」を決断した十五代将軍「徳川慶喜」とともに、明治維新を迎えていきます・・・

まだまだ彼女から目が離せません。
悲しみから立ち直り、前を向いて生きた「篤姫
私も彼女の隠された涙と共に、見つめていこうと思っています。

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