お昼のニュースの中で 「古賀政男」さんの歌のことを放映していました。
たくさんの曲を作った彼ですが その曲は私の父の思い出でもあります。
私が小さい時に 何かにつけ 口ずさんでいた古賀メロディー
テレビを見ていてふ・・っと思い出しました。
たくさんの曲を作った彼ですが その曲は私の父の思い出でもあります。
私が小さい時に 何かにつけ 口ずさんでいた古賀メロディー
テレビを見ていてふ・・っと思い出しました。
父は 「誰か故郷を思わざる」を良く口ずさんでいました。
父の亡くなった年に近づいた近年、なんであの歌を好きだったのか
なんとなく分かるような気がします。
貧乏で遠い長野の家には帰れなかった両親。
今のように高速道路もなく、列車といえば 新宿から出る単線の「飯田線」のみ。
あの頃、新宿からなんと6時間も飯田までかかりました。
常磐線で上野まで出て 新宿まで行くのさえ大変だった時代です。
滅多に帰れなかった故郷。
父の脳裏に あのみどりの山々が映っていたのかもしれません。
父の亡くなった年に近づいた近年、なんであの歌を好きだったのか
なんとなく分かるような気がします。
貧乏で遠い長野の家には帰れなかった両親。
今のように高速道路もなく、列車といえば 新宿から出る単線の「飯田線」のみ。
あの頃、新宿からなんと6時間も飯田までかかりました。
常磐線で上野まで出て 新宿まで行くのさえ大変だった時代です。
滅多に帰れなかった故郷。
父の脳裏に あのみどりの山々が映っていたのかもしれません。
昭和15年、戦争真っ只中の頃の曲です。 古賀政男さんは戦中 戦争のためにその応援歌を作るように言われたそうです。 彼はなかなか勇ましい曲は書けなかったそうで、それでも曲は作り続けたそうです。 この「誰か・・・」も そんな中の曲で 当時の軍部は「この曲は!」と認めなかったとか。 でも予想に反して 外国の戦場の真っ只中にいる人々がこぞって歌い始めて 大流行したそうです。 弾丸の飛び交う過酷な中、人々の心の支えになった歌だったんですねえ・・・ この曲と共に 父の顔を思い出し、歌っていた声を思い出した私です・・・ 60歳で逝ってしまった父・・・ 泣けてきちゃった・・・・