徒然草

つれづれにさまざま書いています。

茨城の名産品??~河童~~

名産品・・・ではないです~~河童ですから~~(笑・・)

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牛久沼の河童伝説。

牛久沼は 国道6号線の牛久市手前の沼です。
うっそうとした森を抱えた 大きな沼です。
今でもその場所には 「河童」がいるような気がします・・・

河童は一説によりますと、1600年ほど前、中国から海を渡り九州八代地方へ辿り付き、
そして其処から日本全国へ伝播していったといわれている。
好きな食べ物キュウリ、特技は相撲、容姿は頭に皿があり背中に甲羅を背負っていて、
体中ヌルヌルしている。以上が主な特徴です。
牛久沼の河童伝説は小川芋銭氏の河童松によって全国に紹介されました。(牛久沼ドットコム・・から)

すもう河童

若者が通りかかると、相撲をとろうとろうといってはなさない。若者がしかたなくすもうをとると、河童はヌルヌルしているので、若者はいつでも負けてしまう。 

 

「河童のこもりがふち
子供たちが泳いでも絶対安全な淵がある。おぼれそうになると必ず河童がきて助けてくれる。」 

 

「河童のおくり提灯
ある人が夜更けに牛久沼の岸を通ると、前の方に提灯が見える。
その人がどんどん進むと、提灯も進む、暗い夜道を照らされて、その人は多いに喜んだ。
                               (牛久沼ドットコム)」

 
そのほかにも有名なお話がいっぱいあります。

生涯の殆どを牛久沼のほとりで暮らした日本画家の小川芋銭は、
河童を好み多数の河童の絵を残した事から『河童の芋銭』として知られている。
晩年には画集『河童百図(1938年)』を出版している。



「牛久沼の伝説」

牛になった小坊主のお話
金竜寺に知雲というのろまで気の利かない小坊主がおりました。
住職の注意にも耳をかさず、食っては寢、食っては寢しているうちに、
まるまる太って、とうとう牛になってしまいました。

牛になった知雲は始めて自分のしたことを反省し、もう死ぬしかないと思い沼に入水しようとします。
それをあわれに思った住職は、牛の尻尾を引っ張って引戻そうとしますが、
ぷつんと切れてとうとう水底へ沈んでしまいました。

住職は残った尻尾を持ち帰りねんごろに供養しました。
その尻尾で払子をつくり、その払子は今でも寺宝として残ています。
一方入水した沼はその後「牛を食った沼」として牛久沼と呼ばれるようになりました。 
                                            (牛久沼ドットコムから)

牛久においでのさいは 湖畔にたたずんでください・・きゅうりを持って。