徒然草

つれづれにさまざま書いています。

「近衛歩兵」で、びっくり!!

  ※ 「近衛歩兵第一聯隊(れんたい)の額・・

 

先日の話です。

長男が嫁っちのお里に一家で遊びに行った時。

何気なく見あげたら・・なんと、この額がかかっていたとか。

あれ・・とおもい、よく見れば、「近衛歩兵第一聯隊」の額。

お里のおじいさまが頂いた「額」との話に、長男はびっくりしたそうなんです。

 

嫁っちのお里にはもう何十回も行っていて、今っ!?と私は笑いましたが、今まで全く気がつかなかったそうです。(行けばお酒飲んでいたでしょうし・・(笑))

 

おじいさまはもう亡くなっていますが、おじいさまの青春時代、やはり戦争中でした。18歳から3年間ほど、近衛歩兵第一聯隊に所属していたそうで。

※ 近衛歩兵第一聯隊・・といいますと。

   大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。近衛歩兵第二聯隊とともに、日本陸軍最初の歩兵連隊。

ウィキペディアで見てみますと、西南戦争からずっと戦争に従事してきた連隊のようです。大正時代、昭和天皇が皇太子時代には陛下は「近衛歩兵第1連隊附陸軍歩兵少尉」だったようです。

 

  ※ 当時のお写真・・

こうした訓練を受けていたんですね、貴重なお写真。

 

  ※ おじいさまの近衛歩兵のマークの帽子・・

 

  ※ 「藤田東湖」 「誠」の書・・

おじい様が頂いた「書」だそうです。印刷らしいですけど、すごいですね~~

 ※「藤田東湖

江戸末期の儒学者水戸藩士。彰考館に勤務し、水戸学の中心人物として活躍。水戸徳川家九代藩主・斉昭公を助けて藩政改革に尽力、ペリー来航の時斉昭公が幕政に参与した折にも海防政策をした・・ (コトバンクよりお借りしました)

 

  ※ 感謝状・・

退役なさってからも いろいろと尽力したのでしょう。

 

実家の父もそうですが、青春時代は戦時下でしたから、若者は御国のためを思い 只々必死に生きていたのでしょう。ご実家のおじいさまもさぞ、いろいろなことがあったのでしょう。

戦争は、虚しいだけです・・

 

  ※ 長男が大宝八幡宮下妻市で引いたおみくじ・・

偶然にも「誠」の文字! 唖然とした・・と長男。ご実家で藤田東湖の書を拝見してからの、おみくじだったらしいです。いやはや・・(笑)

 

 

ちなみに・・

 「近衛歩兵」と「近衛兵」は違うようです。君主を護衛する・・のは同じなのかな。

この度も勉強になりました。みのりん