徒然草

つれづれにさまざま書いています。

地蔵院の桜・・

 

   地蔵院   水戸市内原町906

 

内原町の「義勇軍内原訓練所跡」の近くにあります地蔵院です。

境内の中に、「満蒙開拓殉職者の碑」があると聞き、訪ねてみました。

境内入って左手に、大きな染井吉野がそびえていました、そこに「碑」があって殉職者の皆さまをお祀りしています。

 

内原は「満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所」や、「渡満道路」など、義勇軍を育て送り出した地としても名が知られています。

地蔵院では儚く亡くなった方々の魂をお祀りしているのでしょう。

そばには、古木になった桜が一本、その魂を慰めています。

染井吉野は戦中最も親しまれた「桜花」です。「パッと咲いて、パッと散る」とされ、戦下の中若者が心にしまい戦った花・・

 

染井吉野は葉桜でしたが 年月が過ぎいまは静かな地蔵院で英霊たちの魂を護っているのだと感じました。

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 ※ 長田観音堂・・

 

 ※ 境内淡嶋堂・・

 

 ※ 右手・本堂・・

 

 

 

 

 

義勇軍として夢を抱いて赴いた先では、かなりの苦労があったと聞いています。それでもお国のためと汗を拭いて開拓していったであろう若者たち。やがて戦火となり命を亡くす方、またシベリア送りにされてそこで儚く亡くなった方々、母国に帰って来るにも、大変なご苦労があったと・・

戦争はいけません、絶対にいけません。

 

この度、内原町を訪ね、実父の若き頃を想い、涙しました。

実父は戦後、長野県現飯田市から茨城県に「開拓団」としてやって来て、仲間たちと共に 山野を開墾しました。私の幼いころ、毎日土にまみれて働いていたのを覚えています。

あの当時、いまのような便利な機械など無く、手仕事でしたので、それは大変だったと。開墾した土地は自分のものになる・・という「夢と希望」を持ってやって来たのだと思います。

 

父は義勇軍満州に開拓団として行ったことや、肺炎になって本国に返された事など、お酒を飲むとポツリ・・と言い、時には涙しました。

「俺は帰ってきてしまった・・」と何度も悔やんでいました・・

そんな事が無いような日本を今後も作り続け無いといけません。

 

色々と考えさせられた日でした。

私も父の亡くなった齢をもうずい分前に越しました。

父のこうした「気持ち」の一部分、考えたのも・・齢を重ねたためでしょうかねえ・・(^_^;)

 

 

たくさんの記事を読んで頂きありがとうございました。みのりん

 

 

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撮影日・・2022年07月23日