※ 渋沢栄一
お札の顔になる・・と発表されてから、この人物の生涯を知りました。
今までほとんど知らなかった人物の生涯、恥ずかしい限りです。
動乱の世の中をよくも生き抜き、日本という国をとても深く愛した人物であることは、深く尊敬します。
たくさんの事業を起こし、それが今も残っているという、すばらしい方です。
忠義・・という言葉を思い起こさせます。
彼の一生涯「負けない心」を見つめただけでも、勉強になった次第です。
特に、大政奉還から後、たくさんの有名人、歴史に名を残す有名人が出てきました。それらの方々の偉業もまた、勉強になりました。
とてもいい作品だと思います。
※ 徳川斉昭公
大河では前半に多く出演。水戸徳川家(御三家の一つ) 第九代藩主。
亡くなるまで「尊王攘夷」を唱えた。
最後の将軍 慶喜の実の父。
慶喜に幼い時より、尊王攘夷を教え、慶喜の行く末を見守った人。
光圀公を敬っていた、「快なり!」が口癖。
映像の中の斉昭は 庶民に親しまれていたし、また、ちょっと激しい物言いも多々あったようです。これが斉昭公そのもののようにも思えます。
竹中直人さんの斉昭公は 全く持ってすばらしく、「さぞ、こういった人であったろう」と思わせました。本当に「快い演技」で、見惚れました。
「斉昭公一代記」を竹中直人さんでやってほしいと感じます。
※ 徳川慶喜公
言わずと知れた 徳川最後の将軍です。
草彅 剛さん、最後までとてもかっこよかったですね。
とにかく、将軍になることを嫌がっていた慶喜。しかし、将軍になってわずかの間に「大政奉還」という大きな仕事を成し遂げました。徳川から朝廷に政権を返す・・という、大きな仕事です。
しかしそのために、朝敵と言われ、しかも慶喜は心のうちを決して打ち明けなかったために、人々に様々なことまで言われました。
「いつ、死ぬべきだったのか・・」と、渋沢に吐露した彼。
晩年、渋沢の懇願した 自分の歩んできたことを話して聞かせ、「生きていてよかった・・」と、つぶやきました。
「快なり、快なり、快なり・・快なりじゃ」
父、斉昭の口癖だった「快なり」を言い 晴れやかな笑顔を渋沢に向けました。
栄一の目に涙が光った・・
とにもかくにも、最後は泣けました・・
渋沢栄一に懇願されていなかったなら、慶喜公の胸の内を記した自伝も無かったわけで、ずっと・・慶喜は朝敵・・等と思われていたはずですから。
草彅さんの名演技であったと、感銘いたしました。慶喜公そのもの・・のような気がしました、慶喜公はこんな人であったろう・・と、思わせました。
※ 徳川昭武公
慶喜公の実の弟(異母弟)。
清水徳川家を相続。栄一らとパリ万博に。帰国後、第十一代水戸藩主に。その後水戸藩知事に。
この昭武公のことを、あまりよく知りませんでした。この度パリまで行った・・など知ってよかったと思います。慶喜公も弟を思いやっていたと感じています。
明治以後 水戸の徳川家を護った方です。
「青天を衝け」はあと一話を残すのみ。慶喜公も七十七歳で亡くなった後、渋沢栄一氏がどんな最期を迎えるのか、楽しみですね。
ちなみに、心から慕った徳川慶喜公のお墓は 東京の谷中霊園にあります。(数年前拝見しました) 渋沢栄一氏の墓は慶喜公の方を向いている・・と言われます。