徒然草

つれづれにさまざま書いています。

「青天を衝け」・NHK大河・・

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   ※  渋沢栄一

 

NHKの大河ドラマ、いま話題の渋沢栄一の一代記ですね。

お札の顔になる・・と発表されてから、この人物の生涯を知りました。

今までほとんど知らなかった人物の生涯、恥ずかしい限りです。

動乱の世の中をよくも生き抜き、日本という国をとても深く愛した人物であることは、深く尊敬します。

たくさんの事業を起こし、それが今も残っているという、すばらしい方です。

 

若い時に徳川慶喜公に会い、死ぬまで慶喜公を慕っていた彼。

忠義・・という言葉を思い起こさせます。

彼の一生涯「負けない心」を見つめただけでも、勉強になった次第です。

 

特に、大政奉還から後、たくさんの有名人、歴史に名を残す有名人が出てきました。それらの方々の偉業もまた、勉強になりました。

とてもいい作品だと思います。

 

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   ※  徳川斉昭

 

大河では前半に多く出演。水戸徳川家(御三家の一つ) 第九代藩主。

亡くなるまで尊王攘夷を唱えた。

茨城県那珂湊市反射炉は斉昭公が築造されました。

 

最後の将軍 慶喜の実の父。

 

慶喜に幼い時より、尊王攘夷を教え、慶喜の行く末を見守った人。

日本三大名園偕楽園を造園した事でも知られる。

光圀公を敬っていた、「快なり!」が口癖。

 

映像の中の斉昭は 庶民に親しまれていたし、また、ちょっと激しい物言いも多々あったようです。これが斉昭公そのもののようにも思えます。

竹中直人さんの斉昭公は 全く持ってすばらしく、「さぞ、こういった人であったろう」と思わせました。本当に「快い演技」で、見惚れました。

「斉昭公一代記」を竹中直人さんでやってほしいと感じます。

 

 

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   ※   徳川慶喜

言わずと知れた 徳川最後の将軍です。

草彅 剛さん、最後までとてもかっこよかったですね。

 

とにかく、将軍になることを嫌がっていた慶喜。しかし、将軍になってわずかの間に大政奉還という大きな仕事を成し遂げました。徳川から朝廷に政権を返す・・という、大きな仕事です。

しかしそのために、朝敵と言われ、しかも慶喜は心のうちを決して打ち明けなかったために、人々に様々なことまで言われました。

「いつ、死ぬべきだったのか・・」と、渋沢に吐露した彼。

晩年、渋沢の懇願した 自分の歩んできたことを話して聞かせ、「生きていてよかった・・」と、つぶやきました。

「快なり、快なり、快なり・・快なりじゃ」

父、斉昭の口癖だった「快なり」を言い 晴れやかな笑顔を渋沢に向けました。

栄一の目に涙が光った・・

 

とにもかくにも、最後は泣けました・・

渋沢栄一に懇願されていなかったなら、慶喜公の胸の内を記した自伝も無かったわけで、ずっと・・慶喜は朝敵・・等と思われていたはずですから。

草彅さんの名演技であったと、感銘いたしました。慶喜公そのもの・・のような気がしました、慶喜公はこんな人であったろう・・と、思わせました。

  

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    ※  徳川昭武

慶喜公の実の弟(異母弟)。

清水徳川家を相続。栄一らとパリ万博に。帰国後、第十一代水戸藩に。その後水戸藩知事に。

 

この昭武公のことを、あまりよく知りませんでした。この度パリまで行った・・など知ってよかったと思います。慶喜公も弟を思いやっていたと感じています。

明治以後 水戸の徳川家を護った方です。

 

 

 

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「青天を衝け」はあと一話を残すのみ。慶喜公も七十七歳で亡くなった後、渋沢栄一氏がどんな最期を迎えるのか、楽しみですね。

 

ちなみに、心から慕った徳川慶喜公のお墓は 東京の谷中霊園にあります(数年前拝見しました) 渋沢栄一氏の墓は慶喜公の方を向いている・・と言われます。

 

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