好文亭と、在りし日の左近の桜・・
偕楽園の好文亭内部の写真が、埋もれていましたので、整理してUPします。
日本三大公園の偕楽園は、水戸家九代藩主、徳川斉昭(烈公)が千波湖を望む七面山を切り開き、回遊式庭園の構想を持ち、造園は長尾影徳が行いました。
「領民と偕(とも)に楽しむ場」にしたいと、烈公自ら「偕楽園」と名づけられました。つい最近までは好文亭を除く公園内は無料でした。
好文亭は、園内にある屋敷です。
斉昭公は「表門」から入って、竹林を抜けてこの好文亭に入ったといわれます。偕楽園を造園した際、千波湖や桜山なども風景の一つと考え、好文亭からの眺めを、みんなで楽しんだとされています。
木造二層三階建です。
それぞれの部屋には、大変美しい絵が描かれていて、「・・の間」とし、みんなで楽しんだり、また、斉昭公の正室・吉子女王も大変気に入って住んだともされています。
奥に見えているのが、千波湖です。斉昭公も眺めたであろう風景・・
中央が、「弓池」。桜山は右手になります。とても見晴らしがよく、梅の時期などにはたくさんの人で賑わっています。
好文亭の庭の先の「左近の桜」が見えています。
この年の9月の巨大台風で倒れてしまい、今は面影はありません・・
ちなみに、斉昭公は、あの最後の将軍とされる徳川慶喜公の父です。
たくさんの写真をご覧いただき、ありがとうございます。(#^.^#)
写真撮影日・・2019年03月26日